a59430ef.gifここのところ少々古めのネタが多かったので、今日は旬なトコロから新人をピックアップ。いわゆるオーガニック・ソウルとかネオ・ソウルとか呼ばれるフィールドのヒトですね、このジーノ・ヤングは。エリカ・バドゥとかエンダンビのアルバムに参加してるサウンド・クリエイターで、ネオ・ソウル寄りのジャズ・ファンクを演ってるトランペット奏者ロイ・ハーグローヴとも近しいとか。
 調べると、なるほど確かにボクも一時よく聴いてたエリカの2nd『MAMA'S GUN』に、彼の名があった。でもさすがにその時はノー・チェック。実際はこのCDが夏に出て、ジーノがアコースティック・ギターを手に佇むイラストのジャケットを観て、ピピッと触手が動いたのだ。自分の中には、オーガニック・ソウル=自作自演タイプの黒人シンガー・ソングライター、という方程式があって、70'sっぽいカッコしたアフリカン・アメリカンがアコギを抱えていると、無条件に反応してしまう。短絡的といえばあまりに短絡的だけれど…。多分どこかで、テリー・キャリアやビル・ウィザースの再来を求めているのかも知れない。反対にディアンジェロ『VOODOO』みたいにマッチョでムキムキだと、思わず引いてしまうのだが。

もちろんサウンド的には、90年代のヒップホップやR&Bを通り抜けてきたドープな音。だがこのアルバムでもジョージ・ベンソンで有名な<On Broadway>がカヴァーされてたり、ジーノ自身がダニー・ハサウェイやロバータ・フラックと同じワシントンD.C.のハワード大(黒人の名門大学)を出ていたりで、60〜70年代のニュー・ソウル/シティ・ソウルの流れを確実に受け継いでる。
 ただそれが70年代末〜80年代のブラコンと相容れるかといえば、ちょっと微妙。要するに黒人音楽は70年代に入った頃、機材の進化を背景にサウンド指向/アレンジ指向へ走り、人種を越えて大衆化を実現した。ディスコはまさに、その融合と分裂が繰り返された実験場でもあった。しかし10年も経つとあまりに中産階級遍重になったため、80年代終盤、これに抗うようにストリートの動きが激しくなって、激しいビートとメッセージ色の濃いヒップホップやラップが出現したのだ。でもこれも度を過ぎて過激になり、著名ラッパーの殺人事件が相次いだりしたため、より内省的かつ音楽的なオーガニック・ソウルの流れが誕生する。
だからこの手の音は、一般的なブラコンに比較すればあまりにシンプル。楽曲は編曲よりも詩的に展開し、グルーヴもクールに怪しくウネる感じだ。それを物足りないという中年ファンの声も、よく分かる。でも結局のトコロ、お里は一緒なのだ。あの時ニュー・ソウルのサウンド・クリエイターたちは、来るべきディスコ時代を睨みつつ、サウンド面の進化と大衆化に舵を切った。しかし今は時代がひと回りして、再び分岐点に立っている気がする。その中でオーガニック・ソウルは、よりコアな右化傾向に踏み出しているのではないか。それが良いか悪いかは、10年後に分かるだろう。でも今のブラック・ミュージックには、一方でデス・チャのような“ファーストフード・ミュージック”も用意されているのだ。

そんなコトを思いつつ聴いた、ジーノ・ヤングのデビュー盤。確かな才能がまたひとつ、ここに華開いたコトを実感した。でもいつか、アコギ・ジャケの罠にハマってボヤく予感もチラホラと…(苦笑)