2005年03月08日
■ IT'S FRIDAY / JADOES
昨夜から集中して書いてる原稿があって、一日中ジャドーズ三昧。具体的にはまだ明かせないのだけれど、ボクのサイトの常連さんには、もうミエミエだわなぁ…。というワケで、ジャドーズの記念すべきファースト。やはり彼らを語る時に、角松敏生の話は抜きにはできない。元々彼らは角松プロデュースでデビューしたのだし、その後しばらくは角松ファミリーの中で成長したのだから。
その出会いが、また飛び切りユニーク。デビューを目指していた彼らは、友達のツテか何かで角松の家を探し出し、自宅ポストに自分たちのデモテープを投げ込んだのだ。しかも、それを聴いた角松が彼らを気に入り、ジャドーズのライヴに潜入。結局プロデュースを買って出る。
その一方お笑い方面では、ひと足先にジャドーズの名が通るようになっていた。このファースト・アルバムが出た86年秋には、彼らはもうテレビ朝日の『ミッドナイト in 六本木』のレギュラーになってて、モノマネとか声帯模写とか、お笑いネタをカマしてたはずである。で、そいつらが真面目に音楽やってデビューした、というので、結構話題になった記憶が。ボクは当然角松の流れで連中を知ったので、それほど意外性はなかったけれど。
そしてこの第一弾アルバム。それこそ先行シングルの<Friday Night>からして悶絶モンの超ド級ファンクだったので、コチラはノッケからラップの<Ikasuman>でキマリ。そこに隠されたダブル・ミーニングは、もちろん皆さんお分かりですよね? つまりファンク好き、ギャグ好き、下ネタ好きという多くの共通点を持つ両者は、最初こそジャドーズの一方的な憧れだったが、やはり邂逅すべくして邂逅したといえる。
そしてジャドーズは角松から、音楽制作のノウハウとプロ・ミュージシャンとしてのイロハを学ぶ。逆に角松は、ジャドーズを育てながら、リミックス、エディット、あるいはコンピューターに絡んだデジタル・テクノロジーの導入など、角松サウンドの実験場にした。特にジャドーズ3枚目『A LIE』は、『BEFORE THE DAYLIGHT』の前哨戦といった雰囲気。角松の作曲がギターからキーボードに変わったのが、ちょうどこの時からなのだ。それこそシングル<Heart Beat City>のアレンジなんて、そのまんま<I Can Give You My Love>だよ。
結局ジャドーズは角松のもとで、オリジナル・アルバム4枚(+リミックス・アルバム1枚)を作って、円満に独立。そこからは身の軽さを加速させていく。角松目的でジャドーズに接していたファンは次第に離れて行くけれど、実はジャドーズらしさを爆発させた名曲はこの先に多い。例えば<夏はDon't Worry>や<シェイラ>など、ポップで歌謡曲ライクなメロディーやラテンなノリは、角松時代にはなかったものだ。ここら辺は是非、これを機会に再評価してほしいところ。…って、その機会が何だか、まだ公表できないのが歯痒いケド。
なお、現在ジャドーズは“ジャンジャナール・ジンジェ”とかいう名前で、3人で存続中。なんかジンジャエールをもじったような感じで、意味不明だが。ちなみに4月のファンクラブ・イベントでは、オリジナル・メンバーが集まって昔の曲を演る企画も出ているらしい。3人+ピストン西沢のミラーボール星人ネタもそろそろ厳しくなってるようだから(ネタがあっても使用許諾が降りないケースが多いらしい)、そろそろコチラの活動も再開させて欲しいなぁ…。そういえばダンス★マンにインタビューで会った時、ジャドーズの話になったことがある。その時はもうオフ・レコだったのに「イヤァ、あの頃、ボクの親友の藤沢クンはねぇ…」なんて徹底ぶり。要するにアフロのカツラをかぶってる時は、ダンス★マンに成り切っている。さすが、見上げた芸人根性! あっ違った、彼の基本はミュージシャンでしたね(笑)
その一方お笑い方面では、ひと足先にジャドーズの名が通るようになっていた。このファースト・アルバムが出た86年秋には、彼らはもうテレビ朝日の『ミッドナイト in 六本木』のレギュラーになってて、モノマネとか声帯模写とか、お笑いネタをカマしてたはずである。で、そいつらが真面目に音楽やってデビューした、というので、結構話題になった記憶が。ボクは当然角松の流れで連中を知ったので、それほど意外性はなかったけれど。
そしてこの第一弾アルバム。それこそ先行シングルの<Friday Night>からして悶絶モンの超ド級ファンクだったので、コチラはノッケからラップの<Ikasuman>でキマリ。そこに隠されたダブル・ミーニングは、もちろん皆さんお分かりですよね? つまりファンク好き、ギャグ好き、下ネタ好きという多くの共通点を持つ両者は、最初こそジャドーズの一方的な憧れだったが、やはり邂逅すべくして邂逅したといえる。
そしてジャドーズは角松から、音楽制作のノウハウとプロ・ミュージシャンとしてのイロハを学ぶ。逆に角松は、ジャドーズを育てながら、リミックス、エディット、あるいはコンピューターに絡んだデジタル・テクノロジーの導入など、角松サウンドの実験場にした。特にジャドーズ3枚目『A LIE』は、『BEFORE THE DAYLIGHT』の前哨戦といった雰囲気。角松の作曲がギターからキーボードに変わったのが、ちょうどこの時からなのだ。それこそシングル<Heart Beat City>のアレンジなんて、そのまんま<I Can Give You My Love>だよ。
結局ジャドーズは角松のもとで、オリジナル・アルバム4枚(+リミックス・アルバム1枚)を作って、円満に独立。そこからは身の軽さを加速させていく。角松目的でジャドーズに接していたファンは次第に離れて行くけれど、実はジャドーズらしさを爆発させた名曲はこの先に多い。例えば<夏はDon't Worry>や<シェイラ>など、ポップで歌謡曲ライクなメロディーやラテンなノリは、角松時代にはなかったものだ。ここら辺は是非、これを機会に再評価してほしいところ。…って、その機会が何だか、まだ公表できないのが歯痒いケド。
なお、現在ジャドーズは“ジャンジャナール・ジンジェ”とかいう名前で、3人で存続中。なんかジンジャエールをもじったような感じで、意味不明だが。ちなみに4月のファンクラブ・イベントでは、オリジナル・メンバーが集まって昔の曲を演る企画も出ているらしい。3人+ピストン西沢のミラーボール星人ネタもそろそろ厳しくなってるようだから(ネタがあっても使用許諾が降りないケースが多いらしい)、そろそろコチラの活動も再開させて欲しいなぁ…。そういえばダンス★マンにインタビューで会った時、ジャドーズの話になったことがある。その時はもうオフ・レコだったのに「イヤァ、あの頃、ボクの親友の藤沢クンはねぇ…」なんて徹底ぶり。要するにアフロのカツラをかぶってる時は、ダンス★マンに成り切っている。さすが、見上げた芸人根性! あっ違った、彼の基本はミュージシャンでしたね(笑)
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この記事へのコメント
1. Posted by ブラコン好き男 2005年03月09日 22:32
とても懐かしいです。あのーJADOESは独協大出身って、ほんとですか。僕は独協出身42才、男子です。
2. Posted by kanazawa 2005年03月10日 03:49
本当です。お笑いユニットを兼ねていた3人は、当時TVでも独協3人組と謳ってましたね。残り2人は立教大の同級生だったかな。
3. Posted by かどそば 2005年03月10日 16:34
私は角松さんのご自宅のすぐ側に住んでいるんですけど、あのポストに、JADOESの歴史があったとは・・・。
感慨無量です。
私もデモテープ投函してみようかしら。
毎年年始に年賀状を投函しに伺ってるんですけどね・・。
感慨無量です。
私もデモテープ投函してみようかしら。
毎年年始に年賀状を投函しに伺ってるんですけどね・・。
4. Posted by 寝技格闘家 2005年05月18日 12:35
ちなみに自分も獨協大学出身です。埼玉の田舎にある小さい大学のわりには芸能人を多く輩出している不思議な大学です。
獨協つながりで金沢さんのベスト買いますよぉぉぉぉっ!
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