123bbfa3.gif昨夜から集中して書いてる原稿があって、一日中ジャドーズ三昧。具体的にはまだ明かせないのだけれど、ボクのサイトの常連さんには、もうミエミエだわなぁ…。
というワケで、ジャドーズの記念すべきファースト。やはり彼らを語る時に、角松敏生の話は抜きにはできない。元々彼らは角松プロデュースでデビューしたのだし、その後しばらくは角松ファミリーの中で成長したのだから。

その出会いが、また飛び切りユニーク。デビューを目指していた彼らは、友達のツテか何かで角松の家を探し出し、自宅ポストに自分たちのデモテープを投げ込んだのだ。しかも、それを聴いた角松が彼らを気に入り、ジャドーズのライヴに潜入。結局プロデュースを買って出る。
 その一方お笑い方面では、ひと足先にジャドーズの名が通るようになっていた。このファースト・アルバムが出た86年秋には、彼らはもうテレビ朝日の『ミッドナイト in 六本木』のレギュラーになってて、モノマネとか声帯模写とか、お笑いネタをカマしてたはずである。で、そいつらが真面目に音楽やってデビューした、というので、結構話題になった記憶が。ボクは当然角松の流れで連中を知ったので、それほど意外性はなかったけれど。

そしてこの第一弾アルバム。それこそ先行シングルの<Friday Night>からして悶絶モンの超ド級ファンクだったので、コチラはノッケからラップの<Ikasuman>でキマリ。そこに隠されたダブル・ミーニングは、もちろん皆さんお分かりですよね? つまりファンク好き、ギャグ好き、下ネタ好きという多くの共通点を持つ両者は、最初こそジャドーズの一方的な憧れだったが、やはり邂逅すべくして邂逅したといえる。
 そしてジャドーズは角松から、音楽制作のノウハウとプロ・ミュージシャンとしてのイロハを学ぶ。逆に角松は、ジャドーズを育てながら、リミックス、エディット、あるいはコンピューターに絡んだデジタル・テクノロジーの導入など、角松サウンドの実験場にした。特にジャドーズ3枚目『A LIE』は、『BEFORE THE DAYLIGHT』の前哨戦といった雰囲気。角松の作曲がギターからキーボードに変わったのが、ちょうどこの時からなのだ。それこそシングル<Heart Beat City>のアレンジなんて、そのまんま<I Can Give You My Love>だよ。

結局ジャドーズは角松のもとで、オリジナル・アルバム4枚(+リミックス・アルバム1枚)を作って、円満に独立。そこからは身の軽さを加速させていく。角松目的でジャドーズに接していたファンは次第に離れて行くけれど、実はジャドーズらしさを爆発させた名曲はこの先に多い。例えば<夏はDon't Worry>や<シェイラ>など、ポップで歌謡曲ライクなメロディーやラテンなノリは、角松時代にはなかったものだ。ここら辺は是非、これを機会に再評価してほしいところ。…って、その機会が何だか、まだ公表できないのが歯痒いケド。

なお、現在ジャドーズは“ジャンジャナール・ジンジェ”とかいう名前で、3人で存続中。なんかジンジャエールをもじったような感じで、意味不明だが。ちなみに4月のファンクラブ・イベントでは、オリジナル・メンバーが集まって昔の曲を演る企画も出ているらしい。3人+ピストン西沢のミラーボール星人ネタもそろそろ厳しくなってるようだから(ネタがあっても使用許諾が降りないケースが多いらしい)、そろそろコチラの活動も再開させて欲しいなぁ…。そういえばダンス★マンにインタビューで会った時、ジャドーズの話になったことがある。その時はもうオフ・レコだったのに「イヤァ、あの頃、ボクの親友の藤沢クンはねぇ…」なんて徹底ぶり。要するにアフロのカツラをかぶってる時は、ダンス★マンに成り切っている。さすが、見上げた芸人根性! あっ違った、彼の基本はミュージシャンでしたね(笑)