cc8d42a6.jpg先行シングルの<It's Like That>をFMで聴き、マライアは今回も厳しそうだな…なんてタカを括っていたら、とんでもない!! アルバムは結構スゴイことになってました。彼女、どうやら気づいたようですね、自分のやるべきコトは何かを。これはまさしくマライアにとってターニング・ポイントになるであろう傑作です!
もうかれこれ15年前、行きつけの輸入CDショップで、まだ国内盤も出ていない美形の新人シンガーのデビュー作に飛びついた。ちょうどWhitney Houstonの全盛期。当時、先物買いの傾向が強かった自分にとって、この新人はポスト・ホイットニーの最右翼になると踏んだのだ。プロデュースも同じナラダ・マイケル・ウォルデンだったし。そうしたら案の定、アレヨアレヨという間にスター街道を駆け上がり、アッという間にボクの視界の彼方へ。それ以降、順調にスターの座を守り続けたけれど、オカシクなってきたのは旦那のトミー・モトーラ(当時の米ソニー・ミュージックのトップ)と別れてから。要するに、マライアをコントロールできる人間がいなくなってからである。

元々マライアはヒップホップが好きッ!と、公言して憚らなかった。でも彼女はポップスとバラードの2本立てでキャリアを打ち立てたのであって、決してストリート・シーンのディーヴァではなかった。彼女の人気は主に、白人や黒人富裕層などホワイトカラーの人間が支えていたはずである。ゲットーに住むB-Boys・B-Girlsにとっては、むしろマライアは蔑みの対象だったかも知れない。だからマライアの表現は、あくまで品が良くゴージャスにまとめられていた。しかしモートラと離れ、我が表に出せるようになると、彼女はすぐにヒップホップ色を強めた。

カネがかかっているだけに、出てくる作品は悪くはない。ただターゲットが曖昧で、従来路線からもヒップホップ・ソウルからも外れ、中途半端な印象は拭えなかった。そっち系の曲はメロディの起伏に乏しいから、折角のヴォーカル・スキルという最大の武器も活きてこない。そもそも、求められるヴォーカルの質が違うのだ。マライアはジックリ歌い上げるタイプだから、バラードを歌っている時が一番光る。でもヒップホップ・ソウルには、歌唱力より声そのものの存在感と瞬発力が必要。早い話、自分が好きなコトと、自分がやるべきコト・できるコトは違うんだ、というのを、彼女は全然分かっちゃいなかった。だからモトーラと別れてからのマライアは、何をやっても下世話な感じがした。まるでどこかの大金持ちの娘が、スレてしまって安っぽいコールガールをやってるような(ちょっと違うか)。『GLITTER』が大コケしても、やっぱり…としか思えなかった。

でも、そろそろ巻き返さないとヤバイ、という雰囲気は、彼女が一番痛切に感じていたはず。その結果がこの新作だ。ここで彼女は、自分からヒップホップ・ソウルに近づくのではなく、自分に合ったフィールドの中でヒップホップ・ソウルを昇華するワザを身につけた。ミディアム〜バラードが中心に据えられているから、一見、原点回帰のように聴こえる。が、その表現は以前よりも一層深く、スケール感を増している。それこそ、どの曲も気合い入りまくりだけど、特にDeniece Williamsの<Free>に似た本編ラスト<Fly Like A Bird>なんて、凄いっすよ。この唐突なエンディングに、ボクは彼女の揺るぎなき自信を見た。

デビューの時から彼女を知る者としては、正直、今更マライア?って気持ちはある。でも、いつまでも自分を見失ったままのWhitneyに比べ、今のマライアはしっかりと足を地につけている。"Emancipatio"の名の下に解き放たれたのは、好き勝手にやる自由さではなく、ずっと封じ込めていた“自分らしさ”に違いない。つまり、それだけ自分を客観視できるようになったワケ。実際のセールスはどうあれ、彼女はそうした重要なポイントを「成長」という最高の形で乗り切った。カナザワにとっては、もうデビュー盤以来のヘヴィ・ローテーションである。いろいろあったマライアだけれど、ボクはこのアルバムに賛辞を惜しまない。