49389dba.jpg空気みたいな音楽。あるいは澄んだ水のよう、というか。それは多分、彼女自身のキャラクターでもある。サウダージなシンガーとしてデビューして、人気を獲得。歌唄いであると同時に優秀な医者でもあり、勉強のためにニューオリンズへ。そこで南部の空気をいっぱい吸って作ったのが、このアルバムだ。だからこれまでの彼女のアルバムと比べたら、モア・ジャズ、モア・スインギー。でもそれが今ドキの洒脱なジャズではなく、思いっきりイナタいニューオリンズ・ジャズというところが、アン・サリーのアン・サリーたる由縁なのだ。
普通、わざわざニューオリンズでレコーディングする機会に恵まれたら、例えばアーロン・ネヴィルとデュエットできないか、とか、ドクター・ジョンにピアノ弾いてもらえないか、なんて画策するんじゃないかと思う。けれど彼女の目は、現地のバーなどで地道に歌っている無名の実力派たちに注がれた。つまりニューオリンズの音楽シーンの日常、最もベーシックでルーツに近い部分を剥ぎ取ってみせたのである。売れるかどうか、流行っているかどうか、じゃない。彼女がニューオリンズで触発された音楽を、ただ素直に演っているだけなのだ。同じように彼女は、レパートリーにさり気なく昭和歌謡の名曲を織り交ぜてきた。ここでもサッチモと服部良一メロディーが違和感なく同居してたりする。多分こんなにピュアに音楽できる人は、今のJ-POPシーンでは皆無だろう。

では、どうして彼女だけが? それは彼女の出自と、医者を目指す過程で育まれてきたと想像する。在日韓国人である彼女は、日本では異邦人。だから彼女の心は、いつしか自分のルーツを追い求めて、自分探しを始めていた。しかも人間の命を扱う仕事だから、多くの生死を目の当たりにして、ますます「人間は何処から来て何処へ去って行くのか」を考えるようになった。異邦人である彼女は、当然ニューオリンズでも異邦人。だから常に、その土地の最も根幹的部分に視線が向かう。それが安住の地を持てない彼女の帰巣本能なのではないか。

そう書いておいて、彼女の音楽の純粋さに匹敵する人を思い付いた。矢野顕子、である。あらゆる音楽をすべて自分のフィールドに手繰り寄せてしまう異能の人、アッコちゃん。彼女はその天才的な表現力で、童謡でもジャズでも自分流に仕上げてしまう。でも反対にアン・サリーは、自分をそれぞれのフィールドにすんなり溶け込ませていく。言わば積極派と受動派。けれど、どちらも自然体である点は一緒。しかもその天然っぽさは、どちらも相手に譲らない。無色透明で個性が薄かろうとも、トコトンその純度を極めれば、こうして異能に成り得るのだ。

そういえば、現在HMVでは"Her Perfect Voice"というディーヴァ・キャンペーンを展開中。その幹を成すフリーペーパーに、シティポップス系の女唄をテーマにした文章を寄稿しました。アン・サリーは入ってなかったようですが、もし興味ある方は、是非店頭でお手に取って読んでみて下さい。