800f500c.jpgうそだろっ! 快方に向かってるって話じゃなかったのかよ! また、あのヴェルヴェット・ヴォイスを聴かせてくれるんじゃなかったのかよ!! ルーサー・ヴァンドロス、享年54歳。クッ、7月最初のポストがルーサーの訃報だなんて…(絶句)
ルーサーとの出逢いは、今も忘れない。場所は新宿御苑にあった新宿CISCO。壁に入荷したてのこのアルバムが掛かっていた。何となく気になって手を伸ばすと、ちょうど店内にこのアルバムが流れた。カ、カッコイイ! 即買いだった。あの時の店の雰囲気とか、不思議と今も鮮烈に覚えている。そういえばALTAに移ったCISCOもなくなったとか。ダンス物ばかりになってからのCISCOはボクには用ナシだったが、やはり寂しさがありますな。

で、買ったばかりのルーサー、これにはハマッた。多分AIRPLAYに次いで聴いたアルバムが、コレなんじゃなかろうか。同じブラコン物でも、EARTH,WIND & FIREやクインシー・ジョーンズ周辺とは耳障りが全然違う。オーセンティックなソウルの響きを持ちながら、それでいて新しい感覚。ヴォーカルの魅力はもちろんだけど、レコードから流れてくる音のすべてがキラキラしてた。マーカス・ミラーのベースもメチャ強力だったし。

ちょうど、このアルバムを聴き狂い出したころ、珍しく角松と長電話をした。用件は多分バンドの練習の打ち合わせか何かだったと思うが、いつの間にか「最近、何か面白いのあった?」ってな話になり、僕がルーサーにハマっていると伝えた。
「そいつ、多分、チャンジで何曲か歌ってるヤツだよ。ヘェー、ソロ・アルバム出したんだ。そんなに良いのかぁ〜」
普段はネタの仕入れが早い角松なのに、ルーサーがソロ・デビューしたのは知らなかったみたい。ちょっとだけ優越感。でもチェンジで歌ってたとは知らなかった。僕は単なるディスコだと思ってたから。慌ててチャンジのアルバムを手に入れ、次にルーサーのグループ時代の2枚のアルバムを捜しまわった。好事家の間ではとっくに評判になってたらしく、少々探すのに苦労したが、渋谷にあった伝説の芽瑠璃堂でゲットできた。値段は今みたいなプレミアはついてなくて、まだ普通の輸入盤価格だったと思う。

そうしてカナザワのルーサー熱は、思わぬ形で角松に伝播しながら、どんどん深まっていった。渋い仕上がりのセカンドも、<Superstar>の名カヴァー入りの3枚目も、みんな好き。激ヤセした5枚目あたりから少しテンションは下がったが、いつか来日してくれるものと心待ちにしていた。この頃になると、角松はニューヨークでルーサーを観ている。バラードでよく使う「Na.Na,Na,Na,Na〜」というフレーズは、間違いなくルーサーの影響だ。というより、ニューヨーク・ファンク色を窺わせ始めた『ON THE CITY SHORE』から、すでにルーサーの影はチラついていた。まだ久保田利伸なんて、影もカタチもなかった。

でもカナザワにとって、80年代末以降のルーサーはもうひとつ物足りなかった。ジャネットやマライアとデュエットしたりして、クロスオーヴァー・ヒットの狙い過ぎ。だったら初期のように、スタイリッシュなファンクをバシッ★と決めてよ! そう思っていた。やればできるのは分かっていたから、余計に歯痒かった。でもJ-Recordsに移籍してから、路線はやや違えど、徐々に本領を取り戻してきていたので、アルバムごとに期待は膨らんでいたのだ。そこに03年4月「脳梗塞で倒れる」の知らせ。一時は危ない!と言われたが、その後、回復に向かったと聞いてホッとしたのだ。昨年のグラミーにもメッセージを寄せていたから、しばらくたてば復帰できると信じていたのだ。それなのに、ルーサーは遂に日本の土を踏むことなく、永遠の旅へ出てしまった。

実はオカマとか(お姐ことばを使うらしい)、ヤク太りとか、悪い噂も耳にした。でもそんなコトはどうでもよい。あの包み込むようなヴェルヴェット・ヴォイスがすべてだ。今、最後の<A House Is Not A Home>が流れてきた。しばし聴き惚れて、また絶句。ちきしょう! 酒はどんどん進むのに、仕事は全然進まねぇぞ!