6aa15873.jpg英語盤・独語盤の2種類のライヴ・アルバムが出る、というニュースを聞いてから、久々にクラフトワーク聴きてぇ!とパブロフの犬状態。彼らを初めて聴いたのは、アメリカでもヒットした74年の『AUTOBAHN』から。中でもこの『THE MAN MACHINE』は死ぬほど聴いたなぁ。邦題は確か『人間解体』でしたっけ? 『TRANS-EUROPE EXPRESS』も好きだったけど、カナザワにとってのクラフトワークは、何といってもこのアルバムなのだ。
他のクラフトワークのアルバムに比べると、とにかく曲がポップ。人間的なノリを完全に拒否したところで滲み出てくるグルーヴもまた面白くて、ホント病み付きになった。今のトランス物と並べたら、それこそ赤ん坊みたいなサウンドだけれど、万人を惹き付ける怪しい魅力は当時のクラフトワークの方がはるかに強い。これがなければYMOもヒューマン・リーグも生まれなかったのだ。

だけど、ボクにとってのクラフトワークはココまで。次の『COMPUTER GAME』は一番売れたアルバムだけれど、どこか手慣れた印象があって、あまり好きになれなかった。彼らの場合、テクノの先駆者という斬新な手口にこそ魅力があったわけで、スタイルが完成して拡大再生産に入ったら、そこで彼らの本当の役目は終わったことになる。実際の彼らはテクノのトップ・バンドとして大物扱いされるが、彼らに一番勢いがあったのは、やはりこの頃だろう。

でも最近は、トランス・ミュージックが極限までハイパーを極める一方で、原点回帰的な動きも感じられる。もうこれ以上ハードの進化は望めないから、ようやく本来の音楽作りに戻ってきたのかも知れない。極論すれば、デジタル化が進んだ80年代後半の音楽がツマラないのは、作り手の意識が音楽ではなく音作りに向かっていたからだ。それが90年代に順次音楽へと回帰し、最もテクノロジーの恩恵を受けていたテクノ〜トランス系が、ようやくハードは手段に過ぎないことを自覚し始めた、といったところか。もっともアンビエント・テクノ系の人たちなどは、ずいぶん早くから気づいていたわけだけど。けれどこのクラフトワークや初期YMOを聞いて感じるのは、器械じかけなのに何処か人間臭いこと。やっぱりテクノロジーは、人間が使いこなしてナンボ。器械が人を振り回すようになったら、それはもう音楽とは呼べないでしょ。

そして夕方はスムースエースのメイン・シンガー、重住ひろこのソロ・ライヴ「やわらかな夜 Vol.2」へ。もう彼女の歌声にはずっと胸キュンしているカナザワなのに、またもやハートを揺さぶられる。そしてテクノでカチコチになった耳は、シゲさんの柔らかなヴォーカルでゆったりと解きほぐされていくのであった…