7b30f67d.jpg3年くらい前のマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルで観て以来、ずっと個人的に再評価ブームが続いているピーター・フランプトン。とかく『FRAMPTON COME ALIVE』一枚で片付けられてしまう人だが、絶対そんないい加減なアーティストじゃない。ルールを壊せ!なんてタイトルも、実はそうした世間のイメージをブチ破りたかったからなのだ。
結構なルックスしてるのに、意外なほど苦労人。イヤ、優れたルックス故に正当に評価されなかった、というべきか。中には上手く立ち回る人もいるだろうけど、ピーターは愚直なまでにミュージシャンであろうとしたのだ。

ピーターのデビューは60年代半ばのこと。モッズ系ポップ・バンドのザ・ハードのメンバーとしてだった。ところがピーターは"The Face of 1968”に選ばれるほどのルックス。当然ザ・ハードはアイドル・バンドと化す。しかしミュージシャンとして認められたいピーターは、より本格的なロック・バンドを目指し、69年にスティーヴ・マリオットと共にハンブル・パイを結成する。そのパイ、最初はR&B指向のマリオットとアコースティックなメロディ指向のピーターの音楽性が拮抗していたが、ステージ受けの良さから次第にマリオットが優位に立ち始め、悩んだピーターは人気急上昇中のパイから離脱。メンバーから「裏切り者」呼ばわりされたとか。ソロ・デビューしても最初は鳴かず飛ばずで、地道なライヴ・ツアーに明け暮れた。ようやく芽が出できたのが、75年発表の4枚めのソロ作『FRAMPTON』。ジャケに写る彼は、なんとマリオットのTシャツを着ていた。そしてその時のツアーを録音した『FRAMPTON COME ALIVE』がブレイク、次作『I'M IN YOU』も大ヒットを記録するのだ。
今度は純粋に音楽で成功したピーターだったが、人気上昇と共に、再びルックスの良さがクローズアップされたりも。さらに初主演となった映画『SGT.PEPPERS LONLEY HEARTS CLUB BAND』と79年作『WHERE I SHOULD BE』が相次いで大コケし、あの成功はフロックか?なんて噂がまことしやかに流れるようになっていた。

そうしたモヤモヤを吹き飛ばすべく作られたのが、この81年作。“カワイイ顔してキレイな曲を作る”というイメージを脱却しようとしたのがハッキリ分かるくらい、ギンギンにロックしたアルバムになっている。タバコに火をつけるジャケも、男らしさを強調したものだ。サウンド的には、何といってもTOTOと組んだのが大正解。ドラムは全曲ジェフ・ポーカロ、セカンド・ギター/バック・ヴォーカルはスティーヴ・ルカサーである。反対にキーボードはずっと控え目で、徹頭徹尾ソリッドに攻める。もちろんスロウ・チューンもあるが、決して甘くはなく、硬派な作りなのだ。面白いのは60年代のビート・グループ、イージービーツのヒット曲<Friday On My Mind>をカヴァーしてること。それがピーターにあってるかどうかはちょっと疑問だけど、これはこれでなかなか見事なパワーポップ・チューンに仕上がった。アレッシー兄弟の<Rise Up>なんてものある。
でも一番の聴きモノは、気合い入りまくりのタイトル曲、それにスケールのデカい<Going To L.A.>あたりだろうか。とにかくボクは彼の男気に触れた感じがして、このアルバムが当時からとても好きだった。ピーターの代表作といったら『FRAMPTON COMES ALIVE』に間違いないけれど、私的名盤なら文句なくコチラである。

とはいえピーターの気持ちが世間に浸透することはなく、80年代後半に入ると、次第に活動が鈍くなる。そして旧友デヴィッド・ボウイのサポート・ギタリストを務めたりして、かなり寂しい状況が続いた。けれどここ何年かは結構元気で、03年に出た『NOW』も好印象。オツムはすっかり薄くなったが、最近の彼はスッキリ自然体で演ってて、音の方は元気ハツラツである。ホント、もっと再評価が進んで欲しい人だ。
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