7e7d31b9.jpg「売れるということは、商売の神様に、自分の何かを生け贄として捧げるようなものだという思いは、今も変わっていません。それだけの覚悟がいるということです」
RCAに残した作品群の紙ジャケ・リイシューに際して、セルフ・ライナーを寄せたター坊は、このアルバムの中にそう書き記している。

PANAMでの2作をまったく制約なしに自由に作れた彼女にとって、RCA移籍第一弾『MIGNONNE(ミニヨン)』は、初めて外部プロデューサーがついた作品でもあった。しかもそれが、かの音楽評論家、小倉エージ氏。しかしシュガー・ベイブは、当時の日本のロック・シーンに於いては大きくメインストリームから外れた存在だったから、評論家には激しく叩かれたらしい。つまり彼女にとっては、天敵が上司になったようなモノである。レコード会社もター坊を売りたかったから、第三者的な立場の人間を中に置いて、売れるモノを目指していた。

果たして彼女が曲を書いて持って行くと、あれやこれやとダメ出しの連続。いろいろ手直しを繰り返すうちに、楽曲本来のメロディ、歌詞、そして書いた時の動機も情熱も失われていったという。だがそこまで犠牲を払った作品なのに、これがまったく売れなかった。かくして彼女はこのアルバムを悔やみ、音楽業界に不信感を抱くように。ター坊の言葉を借りれば、業界とは「音楽をつくる現場と、それを受け取るファンの間に存在する、わからないもの」になってしまったのである。

ただしこのアルバム、いま客観的に聴けば、そう悪い出来ではない。…というか、カナザワ的にはむしろ好きな部類かも(苦笑) 確かに彼女らしくない曲はあるが、その一方で<横顔><突然の贈り物><海と少年>なんて名曲も入っている。業界側の言い分も、そう的外れでもなかったというワケだ。

このアルバムが生まれてから、もうすぐ30年。業界は肥大化・歪曲化を繰り返したが、そのアンチテーゼとして生まれたインディーズ・シーンも今や成熟の域に達している。多少の資金があれば、自主制作CDを作るなんて簡単だ。事実、名の通ったベテラン・アーティストたちには、自由な創作環境を守るために自主制作へ走る人が少なくない。おそらく彼女も、今の時代だったら次からそうしただろう。でもヨーロピアン路線を提案する別のプロデューサーが現れたことで、彼女はメジャーに籍を置いたまま、新たな未来を切り開いていくことになった。

でもどうなんだろう。金の流れや事務的な手続きはともかく、アーティストが自主制作で100%自由気ままに作っていて、本当にイイものができるのだろうか? やはりそこには意見を交換できる誰か(例えばプロデューサーとか)、主役に物申す第三者の存在があった方が、より良いモノが生まれるのではないのか。もちろんそれは、アーティスト表現の本質をネジ曲げるものであってはならない。しかしアーティストが自分で描いている音世界が一番かというと、必ずしもそうではない。肝心なのは、関係者がみんな一致団結して「良い作品を作ろう」としているかどうか。「売れる」というのはその次である。
だが現在のメジャー業界の体質は、売れるモノ=良いモノ。音楽の文化的発展より、会社の経済的発展が優先される。真摯なアーティストがインディーに走るもの無理はない。

それでもカナザワは、この件に関してはあまり悲観してない。メジャーが商売っ気を出してデカくなればなるほど、そこにインディーの活躍する隙が生まれるから。A&MもCTIも、最初はみんなインディペントだった。心あるミュージシャンやリスナーは、今もちゃんと正しい音楽のあり方を分かっている。時代が変わってシステムやメディアが変わっても、作り手と聴き手のベーシックな関係はそれなりに保たれているのだ。ター坊のいう「わからないもの」も、何処に目を向けるかによって、チャンと分かるようになる気がする。

…な〜んて、ゴールデン・ウィーク初っ端のテーマではないな。でもカナザワは、近場に出かけるのが関の山で、ほとんどバカンスらしいバカンスはないっすから(泣)

ちなみにこの紙ジャケ・リイシュー、すべてご本人監修のリマスターで、かなり満足度の高いサウンドに仕上がっています。