222b3f25.jpg伊藤銀次といえばナイアガラ・トライアングルの一角だったのはもちろん、シュガー・ベイブに名を連ねたり、りりィのバイバイ・セッション・バンドのまとめ役となったり、あるいは佐野元春のブレーンとして注目されたことも…。実はカナザワにとっての銀次さんのイメージは、ソロ・アーティストではなく、そうした名脇役としてのモノだ。

しかも彼の場合は単なるバイ・プレイヤーではなく、豊富な引き出しの中から主役にちょっとしたスパイスを与える。それが彼自身の個性を際立たせると同時に、メイン・アクトの表現の幅を無理なく広げることに繋がっていた。

そうした自分の立ち位置に自覚的になったのが、82年に発表した『BABY BLUE』以降。曲なりメンツなりで自然に完成した『DEADLY DRIVE』(77年/でもこれだって名盤!)とは違って、意図的に銀次サウンドの確立を目指し始めたのだ。今回紙ジャケ再発された82〜85年発表の7作は、その進化のプロセスを追った作品と言える。

だが同発となった『LOVE PARADE』だけは、時代が下がって93年発表の作品。レーベルを移籍して80年後半に5作品をリリース、その後3年のブランクを経て世に出たアルバムだ。そしてその背景には、彼なりの原点回帰、シンガー・ソングライターに立ち返ろうという意志があったらしい。だからこのアルバムでは、佐野元春やダニー・ショーガーがプロデューサーとして関わっていたり、若き日のCHOKKAKUがアレンジしている曲などがある。80年代に自分が作ってきた作品は40代の自分には似合わないと思い、大人のロック・アルバムを作ろうとしたというのだ。だからこそ、このアルバムはメロウな仕上がりなのだな。

“オワッ、ケニーG!?”と思ってしまいそうなイントロの甘美なバラード<幸せがはじまる>、甘酸っぱくノスタルジーを掻き立てる<涙の理由を>、ゆるゆるのモータウン・ビートが心地良い<今でも君を忘れない>、ブルース・ホーンズビー風の<飛べないペガサス>等など、無理に若作りすることなく、それまで培ってきた音楽観と経験を武器に、至って自然に大人のロックをクリエイトしたこのアルバム。これ以降ソロ活動がないのは残念だが、きっと彼の中では、自分がソロ・アーティストとしてやるべきことはやり尽くしたという感覚があるのだろう。はっぴいえんどがバッファロー・スプリングフィールドを真似たように、彼もここで自分が強い影響を受けた人々の名をいっぱい並べ、謝辞を添えた。それが何よりの証拠である。バカラック、ニール・セダカ、ロイ・オービソンからドノヴァン、クラプトン、スティーリー・ダン、イエス、ジェフ・リン、パット・メセニー、遂にはプリファブ・スプラウト、XTCに至るまで。そのクセ、「ボブ・ディランには行けない」という発言もあったりして…。

うーん、カナザワは熱心な銀次ファンではないけれど、この感覚はちょっと他人とは思えない。…なんて言うと、ファンの人に怒られちゃうかな。