9054a127.jpgそろそろ月刊音専誌の締切が迫ってきてたり、和モノ関連の頼まれ事にも手を付けないといけない時期。ところが約2ヶ月間ずっと張り詰めっぱなしだったもので、一度気を緩めちゃったら今度は逆に集中力が上がらず、ウダウダと超スローペースで仕事をしてる毎日。そこにドカンと特急仕事が入り、いきなりエンジン全開するハメに。…とはいえ今日は、ブツの受け渡しだの、打ち合わせだの、そのまま流れて軽呑みなど、予定がいっぱいなのよ。

そんな中でチョイと目についたのが、ひとつ前のストレンジ・デイズ11月号、ロキシー・ミュージック特集。もちろんブライアン・フェリーのソロ9作の紙ジャケ化と、ロキシー10作の紙ジャケ出し直しに合わせての企画だ。カナザワもレコ・コレ誌のロック・アルバム・ベスト100企画の時に『AVALON』を上位に選んだくらいだから、ロキシーやフェリーにはそれなりに思い入れがある。でも初期ロキシーやフェリーをリアルタイムで聴いた時は、まったく耳が受け入れなかったのだな。

実は初期のデヴィッド・ボウイもそうなのけれど、あのヌメヌメした爬虫類的なヴォーカルに嫌悪感を持ってしまったのである。グラム・ロックならではのキャバレーみたいな妖艶さもキモチ悪く、何がいいのか理解不能だった。まぁ、T・レックスはストレートなポップ・ロックで嫌いじゃなかったけれど。あれはそう、カナザワがまだ中学生の頃。男臭いロックか、インテリジェンス溢れるプログレに憧れていた時分の話である。

ところがある時点から、その両方にドップリとハマってしまった。ボウイは『LOW』、解散状態だったロキシーは、再編後の初作品となったこの『MANIFESTO』から。もっと正確に言うと、フィル・マンザネラやクリス・スペディング、ジョン・ウェットンらを連れてソロで来日したフェリーのライヴを、NHKヤング・ミュージック・ショーで見た時、ガラリとフェリーの印象が変わってしまったのだ。

『MANIFESTO』最大の特徴は、以前のようなヌメリ感がほとんど感じられなくなったこと。もっともフェリー自身のクネクネ具合にゃ変化はないが、バックの音に妙なベタつきがなくなったというか…。それを音楽的に語るなら、パンク/ニュー・ウェイヴからの影響だとか、ホワイト・ソウル的なアプローチを採ったと説明できる。でももっと皮膚感覚で、ドライになったというのがピッタリする。キーポイントは、ゲイリー・ティブスというパンク系ベース奏者、ポール・キャラックやアラン・スペナー(ココモ!)などパブ・ロック人脈の参加。果たしてこれは、たまたま集まったサポート・ミュージシャンの個性を尊重した結果か、はたまたすべてフェリーの計算だったのか。

ちなみにこのアルバム、ノー・クレジットながら一部はニューヨーク録音で、リチャード・ティーやリック・マロッタ、スティーヴ・フェローン、ルーサー・ヴァンドロスらが参加したとか。そういや、カナザワがこのアルバムで一番好きな<Dance Away>とか、それっぽいわ。CD化以前は録音したカセットで聴いてたけれど、道理で好きなワケだ。この辺、ボウイ『YOUNG AMERICANS』とも連動してるね。

ちなみに今回の一連の紙ジャケ・リイシューは、フェリー・ソロのMid-80'sモノまでをゲット。最初からCDに馴染んでた90年代モノは、紙ジャケでも用はない。ましてリマスターなしの出し直しとなったロキシーは、前回紙ジャケで充分。自分も買ったきりになっているCDが少なくないが、やっぱし音盤なのだから、集めるのではなく「聴く」ことに主眼を置きたいモノです(←自戒を込めて)