superheavyミック・ジャガーと元ユーリズミックスのデイヴ・スチュワートを中心に、若き白人ソウル・ディーヴァのジョス・ストーン、ボブ・マーリーの忘れ形見の一人であるダミアン・マーリー、そしてインド映画音楽の若き実力派A.R.ラフマーンら組んだスーパー・バンド、スーパーヘヴィのデビュー作。これがアチコチで賛否両論を読んでいる。

確かにミックがソロ活動を再開するのではなく、敢えてストーンズとは別のグループを組んだのだから、大きな事件だ。だが実際のキャラとしては、グループやバンドとはニュアンスが違っていて、ミックとデイヴ中心のプロジェクト or ユニットというのが正しい。だからフォーマット的には、ミックのソロ作をデイヴがプロデュースし、そこにジョスやダミアン・マーリーたちがゲスト参加する形でも構わなかったのではないか。

だがミックにはストーンズとの兼ね合いがあるし、ただのソロ作では話題性を欠く。そこは商売人ミックのこと。彼はおそらく最初からグループ構想を持って、デイヴと「何ができるか」を模索したのではないか。その時のミックの条件を推察すると、レゲエをベースにハイブリッドな新しいスタイルを目指すこと、自分の他に複数のシンガーを立てること、そのひとりにジョス・ストーンを起用したい、なんてコトだったのでは?  

言い換えれば、おおよその方向性はミックの中に既にアイディアがあって、それを実現するのに相応しいメンバーを集めたのだと思う。デイヴはその参謀兼実務担当。そうした意味でもこのグループは、いわゆるメンバー同士のせめぎ合いの中から醸成されるケミストリーを求めたのではなく、ある程度構築されたサウンドに乗って、バックボーンもキャリアも異なる個性派シンガーたちがガチで絡み合うことを目的としていると思われる。きっとここにいるミックは、シンガーとしては1/4に過ぎず(存在感がもっとデカイのは言うまでもない)、何よりプロデューサーとしての役割が大きかった気がする。ラフマーンが持ち込むラーガ・テイストは、一種のスパイスか?

いろいろ検索してみると、このアルバムに毒づいている方々は、だいたいミックに過剰な期待を抱いているよう。ストーンズでないのは承知しているのに、耳はそれほどニュートラルになってないみたいだ。自分のイメージと実際の音のギャップに戸惑い、理解不能なモノにNO!を突きつける。そんな感じ。確かにこの顔ぶれなら、もっとディープに深化しても良さそうだが、そこは大物ばかりが揃ったユニットゆえ、時間的制約もあったのだろう。少なくてもネットのレビューに見られる酷評よりは はるかに良くできているし、ミックがストーンズでもソロでもなく第3の道を選んだ必然性は、シッカリと伝わってくる。勢いで作った面はあるけれど、結構な力作と言えるのではないか。

まぁ、グループと言っても実は名ばかりで、“次はない”のが暗黙の了解だろう。でももし多少形を変えてでも継続させるなら、リズム隊にスライ&ロビー、鍵盤にアイヴァン・ネヴィルあたりを入れると面白そう。