gary wright_dream
先月末、半ば唐突に紙ジャケ/高音質盤仕様でリイシューされたゲイリー・ライトのワーナー・イヤーズ5作品。最近の紙ジャケ市場は、カナザワにとってはどうでもイイような出し直しが多く、すっかり食傷気味だったが、これは意外な初紙ジャケ化で少々ビックリ。果たしてどれくらい売れるの?と心配になってしまうが、そもそも国内盤CDが出たのが25年近く前なので、これは嬉しい。輸入盤では7年前に米再発レーベルのWounded Birdがまとめてリイシューし、当ブログでも最もAOR寄りの『THE RIGHT PLACE』(81年/ディーン・パークスのプロデュース)を紹介している。なので今回は、ソロ出世作である『THE DREAM WEAVER(夢織り人)』(75年)をピックアップしよう。

元スプーキー・トゥース、といっても今じゃロクに知らない人が多いと思うが、分かりやすくいえばミック・ジョーンズ(フォリナー)、グレッグ・ギドリー(ハンブル・パイ)、ルーサー・グロヴナー(モット・ザ・フープル)らを輩出したブリティッシュ・ロック・グループ。67年から70年代半ばまで活動を続けた。このスプーキー・トゥースの中心的役割を担ったのが、唯一の米国人メンバーで鍵盤奏者のゲイリー・ライトだった。

そのゲイリー・ライトの3枚目のソロ・アルバムが、kの『THE DREAM WEAVER』。特徴は、ポップ・ロックの作品ながら、ギターやベース・ギターを使わない先鋭的キーボード・アルバムになっていることで、ゲイリーと2人の鍵盤奏者、そしてドラムの4人だけでベーシック・トラックが作られている。ベースはゲイリー自身のモーグ・シンセサイザーで奏でられ、ギターはロニー・モントローズが1曲客演しただけ。注目すべきはゲイリーをサポートした鍵盤プレイヤーで、ひとりはまだ駆け出しのセッション・ミュージシャンに過ぎなかったデヴィッド・フォスター。もうひとりが黒人奏者のボビー・ライルである。ドラムはお馴染みジム・ケルトナーと、元スライ&ファミリー・ストーンのアンディ・ニューマーク。

ケルトナーに誘われて参加したフォスターは、まだ当時最新鋭機材だったシンセサイザーには、ロクに触ったことがなかったそうだ。それを手ほどきしてくれたのが、他ならぬゲイリー。フォスターがアルバム全編のセッションに参加したのも本作が初で、今や超大物プロデューサーとなったフォスターにとって、コレは大きなターニング・ポイントとなった作品だった。フォスター&フレンズとして11年に発表したライヴ映像作品『THE HITMAN RETURNS(デヴィッド・フォスター&フレンズ ライヴ2)』で、並み居るビッグネームと共にゲイリーが登場し、“これ誰?” と思った人も少なくないと思うが、ゲイリーはフォスターにとって恩師的存在のヒトなのである。

タイトル曲<Dream Weaver>とポップな<Love Is Alive>が相次いで全米2位となり、アルバムもトップ10入り。特にスペーシーなスロウ・チューンの前者は、ゲイリーの代表曲として広く知られる。でもAOR好きに隠れた人気を誇るのは、実はエレキ・ピアノの揺らぎ感が気持ち良いミディアム<Let It Out>。黒っぽいバック・ヴォーカルには、ゲイリーの妹ローナ(メンツの良いソロ作がある)やデヴィッド・ポメランツの名がある。ホンノリ黒いフィーリングは、全員がそういう指向性を共有していたから。<Blind Feeling>なんて曲は、まず間違いなくテンプテーションズ<Papa Was A Rolling Stone>のリフを意識したものだろう。あまり大っぽらには語られないけれど、いま聴くとゲイリーのヴォーカルはスティーヴ・ウィンウッドにそっくり。スプーキー・トゥースとトラフィックは同じアイランドのレーベル・メイトだったから、互いに刺激し合う部分があったのだろう。

『DREAM WEAVER』の成功で組まれたツアー・バンドには、フォスターに代わってスティーヴ・ポーカロが参加。次作『THELIGHT PLACE OF SMILES』には、フォスター、スティーヴ・ポーカロのみならずジェイ・グレイドンまで参加している。がグレイドンは、あくまでシンセのエンジニア的な関わり。エアプレイの “エ” の字もないので、あまり早まらないよう。メンバーの豪華さでは、ワーナーでの4作目『HEADIN' HOME』(79年)が先を行くが、紙ジャケ5枚の購入はさすがにキツイ…、と言う方は、まず『THE RIGHT PLACE』やこの『DREAM WEAVER』から。