たまらなくアーベイン
田中康夫さんの名エッセイ『たまらなくアーベン』が待望の復刻。facebookで繋がり、音楽ネタを時々やりとりさせて戴いてる関係で、ご本人からご献本いただいた(多謝)。我々 特定世代のAOR好きにはディスク・ガイドとしてお馴染みだけれど、当時のまえがき曰く、スタイル・ブックやエッセイ集としても楽しめる。復刻版にコメントを寄せた菊池成孔氏は、“二度とやって来ない時代のライフスタイル読本” と、実に的確なまとめ方をした。

オリジナルの発刊は84年。AORの百花繚乱期が終息に向かった時期に登場し、クレジット買い中心に旧譜カタログを漁っていた自分の視野を大きく広げてくれた。今のカナザワのAOR観には、この本の影響が大きく残っている。当然 原書はボロボロ。赤ペン・チェックもアチコチに入っている。だから『僕だけの東京ドライブ』として再登場した文庫本も買い直した。でも中身は同じだけれど、文庫本には原書の巻末にあった掲載アルバム・リストと5段階評価がなかった。そのためやっぱりキレイな単行本を手に入れたくて、探すとはなしに探していた。なので、今回の復刻は素直に嬉しい。

この復刻版、表記や誤植訂正などを除くと、原書部分の手直しは一切ナシ。唯一、再刊に対するご挨拶が巻頭に添えられただけである。単なるディスク・ガイドの出し直しならアップデートが必要だが、当時の東京の街と、そこに暮らしたヤング・アダルトのライフ・スタイルを投影させた書き物だから、リライトはあり得ない。それに、作家/文化人から政治家に転身して以降は、音楽どころじゃなかった、という個人的事情もあるのだろう。

当時のままの復刻ゆえ、その頃を皮膚感覚で知る人なら、確かに懐かしい気持ちになる。 でも空前の80年代ブームの今、当時を知らない今の若い世代が読んだなら、もっといろいろな発見があるに違いない。音楽面は言うまでもないが、それを取り巻くカルチャーのレトロ感覚たるや でも今の若者は、それを “古臭いもの” としてでなく、“ヴィンテージでカッコ良い” と受け止める。最近のアナログ・プレイヤーの復活は、音質の良さだけでなく、慎重に針を落として昔のヴァイナルを聴く、という行為そのものに対する憧れがあるはず。1〜2万円で買えるスピーカー内蔵のターンテーブルで満足している連中は、大抵そちらのクチだろう。実際に重要なのはそのあとで、現在のアナログ復活の動きが定着するか否かはそこで決まる。

こうした80年代ブームの背景にあるのは、大きく言うと、現代社会への抵抗だだろう。利便性だの機能性だのコスト・パフォーマンスの追及だのと、社会に組み込まれたり、誰かに管理されるのは絶対イヤ。自分らしくありたいと、“車不要、住まいはワンルームのアパート” という質素な暮らしを続けて来たのが、ここ10〜20年である。けれどそれを見て育った次世代は、自分らしさを求めつつも、あんな貧乏臭い大人にはなりたくない、と思うようになったのではないか。贅沢は無理でも、やっぱりデートはしたいし、小さくてもいいから車は欲しい。わずかな夢を取り戻した世代が、バブル前のアーリー80'sの音楽に惹かれるのは、ごく自然のコトのように思える。些細な状況はともかく、空気感が似ているのだ。ヤッシーさん風に言えば、“そこそこ満たされているけれど、まだ渇きがある” というような…。

そうした空気感にフィットした多くの作品たちが、リスニングにふさわしい(ふさわしかった)T.P.O.と共に紹介されている。最近、どんどんディレッタントたちの愛玩具のようになってきていたAORだが、本来はもっと都市生活に密着した、身近で気軽に楽しめるモノだったはず。それをもう一度思い出させてくれる書でもある。ネット配信やヘッドフォン・ステレオなどツールは格段の進化を遂げているのだから、その気になれば、音楽だって当時よりも簡単に接することができるのだ。よく考えてみれば、音楽をそのルーツや進化の流れ、人脈などで語らなかった点は、サバービア誌のルーツと言えるかも知れない。

表紙に掲載されたアイテムは、ルパート・ホームズやマーク=アーモンド、キャロル・ベイヤー・セイガー、ピーター・アレン、ロバート・パーマーにアシュフォード&シンプソンなど。中でもフランク・ウェーバーにブリティッシュ・ジャズ・ファンクのコンピ盤がツボで、裏表紙にもビル・ラバウンティやリヴィングストン・テイラーなどがあしらわれている。そのいくつかは、先に出た『33年後のなんとなく、クリスタル』にも登場した。

まぁ、決してTOTO/エアプレイ中心にならないところが56年生まれのヤッシーさんらしいところだが、本来AORは その以前に “ソフト&メロウ” と呼ばれていたくらいだから、これにドゥービーを入れたあたりがセンターラインであった。ところが日本では、エアプレイが爆発的人気を得たところから独自の方向性を帯び始め、レア・グルーヴ〜フリーソウル〜ライトメロウの流れが形成されるまで、TOTO/エアプレイ路線がシーンの中央に鎮座することになった。そうしたニュートラルなAOR観を教えてくれる点でも、興味深い指南書である。

さて、わが『AOR Light Mellow』プレミアム・エディションは、いつになったら出せるのだろうか…