missing persons
昨日はプロデューサー:ナイル・ロジャースに厳しい意見を書いたが、今日はナイルのかつての相方バーナード・エドワーズのプロデュース・ワークスから、ちょうど初紙ジャケ/高音質盤化されたミッシング・パーソンズの3作目を。実はデヴィッド・ボウイやマドンナでいきなり大ヒットを連発し、結局そこを越えることができずジワジワ後退していくことになったナイルとは裏腹に、同じ頃、自分のバーナード評は高くなる一方だった。

そりゃあバーナードだって、初期に手掛けたロバート・パーマー『RIPTIDE』やパワー・ステーションを越える成功は手に出来なかったし、ナイル同様、ミスマッチや落ち目のアーティストと組むことも少なくなかった。なのにバーナードはあくまで “らしさ” を失わず、相手が誰でも彼のシグネイチャーである武骨でブッ太いグルーヴを失くさなかった。売れるかどうかより、まず己のスタンスを押し通す。そんな潔さが感じられたのである。そうなると、ナイルが半ば人気取りのような仕事ばかりやっているのに、バーナードの方は判官贔屓も手伝って、信頼に足るプロデューサーとして映るように。でも実際にバーナードのワークスを追っかけても、裏切られるコトはまずなかった。確かに微妙な仕事もないではないが、ロバート・パーマーを筆頭に、ノナ・ヘンドリクス、ABC、ロッド・スチュワート、ジョディ・ワトリーなど、相手のキャリアを引き上げるような制作物が多かった。改めて早世を悔やみたくなる。

このミッシング・パーソンズは、フランク・ザッパ〜ブレッカー・ブラザーズ〜UKを渡り歩いた超敏腕ドラマー:テリー・ボジオが、女優志望だった当時の奥様デイルをフロントに据え、ザッパ時代の仲間ウォーレン・ククルロ(g)とパトリック・オハーン(b)、チャック・ワイルド(kyd)と組んだ5人組。80年に4曲入りEPでデビューすると、キレ味鋭いニュー・ウェイヴ・サウンドで注目を浴び、1stアルバム『SPRING SESSION M』(82年)は全米チャート17位と幸先の良いスタートを切った。本来はポリスと同じように、最先端スタイルの衣を借りた超職人集団だが、デイルの奇抜なセクシー・ファッションや過激パフォーマンスが大きな話題となって、まさにMTV時代の象徴のようなグループに伸し上がった。DVDには収録されてなかったようだが、85年にはLIVE AIDに出演。人気に拍車をかけている。

しかしこの86年の3rdでは、既にワイルドが抜けて4人編成になっており、更にボジオ夫妻破局の噂やニュー・エイジ系のソロ作を出したオハーン脱退説が囁かれていた。それでもバーナード制作らしく、過去2作よりも黒いグルーヴを前面に押し出して、エッヂィかつ重量感のあるサウンドで我々を唸らせる。シック時代からずっとトニー・トンプソンの爆音ドラムと渡り合って来た人だから、テリーのような自己主張ドラマーの扱いには馴れているのだろう。手数よりもグルーヴ重視なのも、間違いなくバーナードの差し金。ニュー・ウェイブとファンクと女性シンガーのコンビネーションを考えるなら、ナイルと手掛けたデビー・ハリーに始まり、ノナ・ヘンドリックスを経て、ジョディ・ワトリーのプロダクツの雛形になった面だってあるだろう。セールスはともかく(全米アルバム・チャート88位)、彼とグループの相性の良さをヒシと感じてしまう作品なのだ。

だが、内容的には一番濃厚だった本作を以てしても、彼らは結果的に浮上できなかった。そして亀裂は修復されぬまま、ツアー終了後に自然消滅。しばらくして日本人女性と再婚したテリーは、横須賀に居を構え、クリニックで世界中を回りながら、ブレッカー・ブラザーズやUK再編に断続的に参加している。彼の今のドラム・キットのデカさは、もう驚きを通り越して漫画的でさえあるが、そんな処に力を注ぐより、もっと本格派指向のパーマネント・バンドを組んでくれ!と思う人は多いんじゃないか。元妻デイルが、ミッシング・パーソンズ名義でライヴを演ったりインディ盤を出しているけれど、もうオリジナル・メンバーでの復活は難しいんだろうな。

ちなみにこの紙ジャケで、初CD化時の米One Way盤は不要になるかと思ったら、ボーナス・トラックが違うのね…