skylark
間もなくウォルト・ディズニーとの夢のコラボレーション・アルバム『WE LOVE DISNEY』をリリースする大物プロデューサー:デヴィッド・フォスターをネタに、約4500Wの読みモノを執筆中。彼のキャリアを俯瞰しつつ、プロデューサーやフィクサーとしての功績、音楽的変遷などを書いているが、改めてネタ多すぎで、まとめるのに四苦八苦している。

個人的に思い入れがあるのは、やはり、シカゴを当ててバラード専門のヒット・メイカーになる以前のフォスター。つまりは、バラードも最高に良いけれど、同じアルバムでルカサーを疾走させたり、グレイドンをハモらせたり、ジェフをハネさせたりする、そのトータルな才能に魅せられたワケだ。バラード屋になったのは、プロデューサーに求められた時代的要請に応えた結果でもあるけれど、シカゴ以降はナタリー・コール『UNFORGETTABLE』、ホイットニー・ヒューストン『BODYGUARD』のメガヒットが出るまでスランプに陥っていたくらいだから、彼もいろいろ悩んだのだろう。が、この2連発でひと皮剥けたか、よりポピュラーなクロスオーヴァー・ヒットを飛ばし始め、スタンダード・カヴァーやクラシカル・クロスオーヴァーへとステージを上げていった。

その最初の第一歩が、71年に結成したスカイラーク。彼がカナダからL.A.に出てくるキッカケとなり、73年初頭には、かの<Wildflower>を全米トップ10入りさせている。フォスターはバンド・リーダーだったが、この曲は意外にもフォスター作品には非ず。ちなみにこの曲を最初に認め、スカイラークを各方面に売り込んでくれたのは、かのバリー・デ・ヴォーゾンだ。が、彼の仲介はフォスターのハード・ネゴシエイターぶりもあって暗礁に乗り上げ、結局バンドのシンガーであり、フォスターの最初の奥様となるB.J.クックの伝手で、キャピトルとの契約を手に入れた。

…っていうか、フォスターがロニー・ホーキンスのバンドをクビになった時、B.J.もホーキンスから離れることを決意。フォスターに新バンド結成を持ち掛けたのがB.J.なら、候補に挙がったミュージシャンをあらかた揃えたのもB.J.だった。スカイラーク結成の影にB.J.あり。さすが7歳年上の姐さん女房で、カナダのクラブ・サーキットでは顔が広かった女性である。

ちなみにスカイラークは、ロギンズ&メッシーナやテン・イヤーズ・アフターとツアーを周り、人気TV番組『Midnight Special』に出演。映像も残っている。この頃B.J.は妊娠中。リード・シンガー:ドニー・ジェラルド、コーラス担当カール・グレイヴスは、スカイラーク解散後ソロ・アルバムをリリースし、フォスターはセッション・ワークを開始。そうこうするうちにジム・ケルトナーと知り合い、彼を起点に一気に人脈が広がっていった。

フォスターのキャリア・アップのプロセスを見るにつけ思うことは、大物は実力があって当たり前、そこから先は、縁と運を持っているかどうかが人生を左右する、ということ。人付き合いの上手さは、新しい仕事を呼び込むパスポートなのだ。