adele 25
アデルの『25』が、英米で発売後1週間の売り上げ新記録を樹立。母国イギリスで初週80万枚超え(うちCD比率は68%)、アメリカでは何と338万枚という驚異的な数字を叩き出した。これまでの米国のタイトル・ホルダーは、イン・シンク『NO STRING ATTOUCHED』で242万枚。ココ10年の音楽業界の凋落ぶりを考えれば、このセールスがいかに凄いかが分かるだろう。今年一番売れていたのがテイラー・スウィフト『1989』で180万枚というから、それも軽く一蹴。ビルボード誌によれば、米国の1週間のアルバム・セールス全体の40%超を『25』が占める予測だそうだ。

このアルバムの音楽的魅力は、今更カナザワが書くまでもないので、当ブログでは軽くスルーするつもりでいた。ところが、業界の知り合いとのSNSでのやり取りから、いろいろ考えさせられる機会があったので、そのあたりをコチラにも書いておこうと。

つまり、英米でこれだけ爆発的に売れているアルバムが、日本ではオリコン13位、実質13,000枚止まり。2週間先行発売されたビートルズよりも、まだ下に位置しているらしい。日本のCDマーケット規模を考えると、これは危機的状況だろう。この差は一体、何処から来るのだろうか。

一部に指摘があるように、アデルの音楽は内省的で地味な印象がある。ソウルフルな歌だが、音だけで判断したら、とてもそんなにバカ売れするシロモノとは思えない。でも歌詞はもちろん、彼女の活動スタンスや発言などを含めたトータルな持ち味として、極めて真摯な彼女のヴァイブレーションがリスナーに伝わる。単にクオリティが高いだけでなく、“パッケージで持っていたい”、“アルバム単位でフルにシッカリと聴き込みたい” と思わせるベクトルで、なおかつ強い訴求力がある。そういう作品、アーティストである、ということだ。

作曲陣も、ライアン・テダーやトバイアス・ジェッソJr.といった当代随一の売れっ子を揃えながら、決して売れセンを狙ってはいない。それだけアデル及びスタッフのディレクションがシッカリしている証しだろう。『19』『21』『25』と、その時々の自分を飾らずに表現するという姿勢が、多くの人々にシンパシーを抱かれるのだ。戦争だのテロだのと不幸な出来事が次々に起きている今、誰もが自分を取り巻く社会環境のことを考えるし、無縁ではいられない。しかしながら、政治や宗教に関しては何かを発言するには、ひどく勇気がいる。そういう人たちの不安定な心情を代弁し、大きく包んでくれるようなトコロが、この作品、もしくはアデル自身にあるのではないか。

例えば、ピンク・フロイドの『狂気』が未だに米国でセールスを伸ばし続けるのは、「インテリに見られたい」という米国人の知的欲望を満たすからだ、という説がある。アデルのコレも、ベクトルこそ異なるものの、今に生きる人々の何かの欲求を代弁しているのだろう。既に1枚のアルバムに対する純粋な音楽的評価のレヴェルは超え、別の意味を帯びてある種のシンボル的存在になり、社会現象的な売れ行きを記録している気がする。

そもそも最近のヒット・チャートは、ホントに一過性の楽曲ばかり。10年20年単位で長〜く聴き続けられる作品は、もうほとんど生まれて来ない。特に米国はその傾向が強いが、それはラジオと共に発展してきた米国音楽産業の宿命でもある。アナログLPの時代から、売れなかったレコードやセールス・ピークを過ぎたレコードは、二束三文でスーパーマーケットで投げ売りされるという、音楽=使い捨て、という文化なのだ。これではダウンロードやストリーミングのような便利な方法ができたら、自ずとそちらへ進んで当たり前。

一方の日本では、かつては悪癖と思われていた再販制度が結果的にレコード(パッケージ)文化を守った。嗜好品としての高価格維持が、カタログ文化を育てた面があるのだ。いま米国からは、日本の音楽界はいつまでもパッケージにこだわらず、早々に配信やストリーミング中心に移行にしろ、という圧力が働いていると聞くが、元々の音楽文化に対する歴史や考え方が根本的に異なる。アデルのこの数字は、今年のグラミー受賞式でプリンスが「Albums still matter」と言っていたことを、ひとつの理想形として示したと言えるだろう。いずれ、どのようなリスナー層が『25』を購入し、CDとDLの比率も詳細にデータが出てくると思うが、作品の重厚さから察するに、いわゆるお子様リスナーが買ってないのは明らか。本当に作品力のあるアルバムは、定額制ストリーミングなど必要なさそうだ(アデルはSpotifyやApple Musicに音源提供していない)。

結局、日本でアデルが低調なのは、日本の音楽マーケットがティーンエイジャーをメイン・ターゲットにしているのが大きな原因だろう。J-POPの存在や英語詞が伝わりにくい、というのも、一見もっともらしい理由ながら、これも総じて日本人リスナーの平均的な音楽IQの低さに起因する。日本の音楽業界は、長年、目先の売り上げばかりに走って、次世代のリスナーを育てるコトに注意を払ってこなかった。アイドルというのは ある世代には必要なモノなので、その存在は否定しないが、若いユーザーに音楽的成長を働きかけずにきたツケは、これから加速度的に増していくだろう。そうした意味では、『25』は日本の音楽マーケットの一番脆弱なところを突く作品でもあると思う。