mike mainieri
引き続きソニー廉価盤企画【クロスオーヴァー&フュージョン・コレクション1000】の第2回発売からチョイス。今日はヴィブラフォン奏者にしてプロデューサー、ニューヨーク界隈のフュージョン・シーンでは黒幕的存在でもあるマイク・マイニエリの代表作『LOVEPLAY』(77年)を紹介しよう。

意外にも50年代から活動し、バディ・リッチに重用されて頭角を現して、62年に初リーダー作を発表しているマイニエリ。が、健康上の理由で浮上は叶わず、日本で注目されたのは、深町純&ザ・ニューヨーク・オールスターズの日本公演(78年)までお預けとなる。事実その2枚組ライヴのオリジナル盤には、“注目の新鋭” と “ベテラン”という噛み合わない形容が載っているほどだ。

その少し前にリリースされたのが、この『LOVEPLAY』である。名演として名高いホール&オーツのカヴァー<Sara Smile>、マイニエリのオリジナル<I'm Sorry>とタイトル曲<Love Play>はN.Y.オールスターズ公演で披露されたので、このアルバムは、半ばその前哨戦的意味合いを孕むようになった。メンバーもマイケル・ブレッカー、デヴィッド・サンボーン、スティーヴ・ガッドというオールスターズ・メンバーのほか、ジョン・トロペイ(g)、デヴィッド・スピノザ(g)、トニー・レヴィン(b)、ウィル・リー(b)らが参加している。また<I'm Sorry>と<Magic Carpet>は、同78年のモントルー.ジャズ・フェスティヴァルにアリスタ・オールスターズとして出演した時にプレイ。こちらのメンバーは、マイニエリとブレッカー兄弟、トニー・レヴィンに加え、スティーヴ・カーン(g)とスティーヴ・ジョーダン(ds)、ウォーレン・バーンハート(kyd)、ゲストでラリー・コリエルが参加し、『BLUE MONTRUEX』というライヴ盤になっている。そうした複数の豪華プロジェクトの起点のひとつが、このマイニエリのソロ・アルバムなのだ。

ただし、今までのようなフュージョン的視点だけでは本作の魅力は伝え切れない、というのがカナザワの主張。例えば冒頭<High Life>は、アフリカの民族音楽ハイ・ライフのリズムを取り入れたもので、人気ミュージカル『ヘアー』のオリジナル・キャストだった女性シンガー:リータ・ギャロウェが歌っている。このリータは88年にソロ・デビュー、翌年ジョー・ザヴィヌル率いるザヴィヌル・シンジケートに起用された。一方<Latin Lover>やポップな<Easy To Please>では、ジェイムス・テイラーお抱えで、共にソロ作もあるアーノルド・マッカラーとデヴィッド・ラズリーがコーラス陣に名を連ねる。彼らと並ぶキャロリン・コッポラとは、稀有なエンジェリック・ヴォイスで知る人ぞ知る存在のグーギー・コッポラ(エアー/ハービー・マン&ファイアー・アイランド/グーギー&トム・コッポラ)その人。こうした歌モノに関してのマイニエリのセンスの良さは、今までほとんど指摘されてこなかった。

フュージョン黎明期の伝説:ホワイト・エレファントを主導したマイニエリだが、そもそもこのプロジェクトも、長いことフュージョン・ディレッタントの慰みモノになっていた気がする。そこには深みのある歌声を持つシンガー・ソングライター:ニック・ホームスがいたし、何よりマイニエリ自身も、エディ・ゴメスや盟友バーンハートらと共にティム・ハーディンのサポートで活躍していたのに…。更にマイニエリやバーンハートの人脈を辿っていくと、ジェレミー・スタイグ(fl)やスティーヴ・マーカス(sax)を経由して、ジャズのみならず、ロックやフォーク、R&Bをも巻き込んだ、60年代のサイケデリックで自由奔放な “リアル・クロスオーヴァー” にトライしていたことが明らかになる。そのあたりが長い間軽視されてきたのだ。故にホワイト・エレファントの本質を知らしめたのは、世紀が変わる頃に始まったレア・グルーヴ方面からの再評価ではなかったか。

渡辺香津美のプロデュースでも名を挙げたマイニエリだが、こうした流れを早くに知っていれば、彼がベン・シドランやカーリー・サイモン、スティーヴン・ビショップといったシンガーたちを好んでプロデュースしたことも納得できる。同じようにこの『LOVEPLAY』も、従来のフュージョン名盤的評価を一旦脇に置いてに、是非新しい斬り口で接して欲しいところだ。

ちなみに、マイニエリの盟友バーンハートの80年作『MANHATTAN UPDATE』も同時再発。同じく、マイニエリとバーンハートのデュオによるモントルーでのライヴ『FREE SMILES』(78年)は、これが世界初CD化。どれも拙解説でのリイシューです。