kashif
夜スタジオ入りだったので、その準備をしていたところに、またしても訃報が飛び込んできた。亡くなったのは、80年代のブラック・コンテンポラリー・シーンを支えたサウンド・クリエイターにして好シンガーでもあったカシーフ。一時は結構ハマってた人だけに、ちょっとショックで、しばしネットを徘徊して情報を集めた。誕生日に諸説あるが、享年58歳というのが正しい模様。26日にL.A.の自宅で死去しているのが発見されたが、事件性はないようだ。因果関係は不明ながら、喘息の持病があったという。

親はなく孤児院で育ったマイケル・ジョーンズ(後にカシーフ・サリームと改名)だが、幼少の頃から音楽に興味を持ち、75年頃、ファンク・バンドのB.T.エキスプレスにkyd奏者として加入、頭角を現した。やがてポール・ローレンス、モリー・ブラウンと一緒にマイティー・スリー・プロダクションを設立。作編曲のみならずプロデュースにも手を染め、評価を高めていく。

自分がカシーフの名を意識し始めたのは、イヴリン・シャンペーン・キング『GET LOOSE』、メルバ・ムーア『THE OTHER SIDE OF THE RAINBOW』、そしてハワード・ジョンソン(Ex-Niteflyte)の『KEEPIN' LOVE NEW』の3連発で。すぐにチェックを入れてハイ・ファッションなどの周辺ワークスを探し、ケニーG.やジョージ・ベンソンに関わる頃には、この初ソロ作も出て…。ホイットニー・ヒューストンのデビュー盤に参加したのは、それから間もなくのことであった。

カシーフの登場は、プログラミングを操ったシンセ・ファンクの走りの時期。当時から完全に生音指向だったカナザワだれど、打ち込みを完全否定していたのではなく、説得力や必然性のある打ち込みなら、大いに歓迎だった。ただこの頃は、制作費を浮かすための打ち込み、最新機材を使うこと自体が目的という、安っぽくて志の低い作品が多かったのも事実。でもカシーフの音作りは、打ち込みのクセに何処か肉感的で、クールなグルーヴに血を通わせる術に長けていた。ソロ3作目あたりからヴォーカル指向を強め、うるさ方のソウル・ファンからも一目置かれるようになるけれど、そういう新旧のバランス感を併せ持っていたのだと思う。

ところがニュージャック・スウィングが出てくると、それには乗り切れず、いつしか表舞台を去ることに。結局メジャーでは89年までに5作品を発表。その後は教壇に立ったりしながら、インディで2〜3作(焼き直し含む)。80's ブギーのブーム到来で再登板のチャンスもアリか!?、というところの訃報となった。自分にとっては、レオン・シルヴァーズ3世、ジミー・ジャム&テリー・ルイス、L.A.&ベイビーフェイスあたりの活躍と共に語りたい人。

Rest in Peace...