bob dylan_blood
あ〜ら、ビックリ。ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞。何年か前から候補に挙がっていたのは知っていたけど(ノーベル賞には公式ノミネートがない)、まぁ、せいぜいそこ止まりでさすがに受賞はないとタカを括っていた。だから虚を突かれたと言うか、寝耳に水というか…。案の定 SNSはこの報で溢れかえり、タイのプミポン国王死去のニュースが霞んでしまうほど。でも音楽業界にとっては、ビートルズでさえ手の届かなかった所にディランが…、というワケで、超ビッグな話題には違いない。

でも、ことディランに関しては、カナザワは門外漢。歌詞云々以前に、あの茫洋とした歌い方、捉えどころのないヴォーカルが苦手で、ずーっと敬遠してきた。そもそも自分は、何枚かアルバムを聴いて気に入ると、すぐに全作揃えたくなる悪いタチ。それも大ベテランのディランを遠ざける理由になった。

結局 買い揃え始めたのは、紙ジャケ化がボチボチ動き始めた90年代終わりのこと。更に数年前に出た47枚組のCD BOX『COMPLETE COLUMBIA ALBUM COLLECTION』(オリジナル35作、ライヴ6作、ボーナスCDの計42作品を網羅)を購入し、ようやくリリース全貌を知るに至った。とはいえ、それほどディープに聴き込んだワケじゃないし、歌詞カードと首っ引きで聴くでもないから、何にも分かっちゃいないのだが…。ただディランの歌詞には隠喩や風刺が多く、ひとつのセンテンスに二重三重の意味が含まれているとか。だとするなら、英語を解さない多くの日本人リスナーが、果たして何処まで?という疑問は残る。

当然ディランの文学賞受賞には、賛否が飛び交っているようだ。ハルキストに代表される文学好きからの疑問はよく分かるが、一方で原理的ディラン・フリークから「受賞は辞退せよ!」との声も。要するに、賞のために曲を書いてきたワケじゃないだろ?、と言うワケだ。ま、若い頃は反戦歌や反体制的なプロテスト・ソングで名を売ってきた人なので、こういう権威的な賞は相応しくない、という言い分は、気持ちとして理解できる。でもディランだって、日本で言えば、もう後期高齢者なのよ。いつまでも尖ったままではいられないし、最近は嬉しそうにスタンダードなど歌っちゃってる。ずっとポーカー・フェイスでニヒルに通してきたのに、最近は時々笑顔なんか見せちゃって、若い世代に「意外にカワイイ…」なんて揶揄されちゃって。既に何度もグラミーを受けている人が、今になって鯱鉾ばって賞返上なんてしないだろう(したりして…) それどころか、一人の時には文学賞を受けたことにコッソリ小躍りしちゃったりするんじゃなかろうか。だったら素直に賞を受け取った上で、「名誉だけ頂いて、賞金は慈善団体に全額寄付」なんてやった方が断然クールだし、今のディランっぽいと思うな。現に79年に平和賞を受けたマザー・テレサは、授賞式の晩餐会を中止させ、その費用をホームレスたちのクリスマス・ディナーに使ったそうだ。

「音楽を芸術に押し上げた!」なんて新聞の見出しみたいなコトはどうだってイイけど、古典ではない大衆芸能を広く国際社会に認めさせたのは事実。と同時に、世界平和がドンドン遠のいている今、それを憂えるアカデミーのスタンスが無言の圧力になったことも背景にあるのではないかと推察する。平和賞ではなく、文学賞といえども、である。だから音楽ファンも、ただ快哉を叫ぶのではなく、「何故にいまディラン受賞なのか」を真摯に考えた方が良いと思うな。

…というワケで、上掲は、ディラン門外漢のカナザワが比較的とっつき易かったアルバムのひとつ。