david bowie is
小雨そぼ降る花冷えの土曜日、『DAVID BOWIE IS 〜 デヴィッド・ボウイ大回顧展』を見に、天王洲 寺田倉庫G1ビルまで足を運んだ。開催残り1週間で滑り込み。もっと混んでいるかと思いきや、早い時間にエントリーしていたためか、数分並んだだけで場内へ。展示物の圧倒的品数と斬新さ、60年代末からの古い映像作品をどう見せるか、という創意工夫など、とても興味深く楽しめるエキシビジョンだった。

ただし、これまでにも何度か書いてきたように、カナザワにとってのデヴィッド・ボウイは微妙に距離感のあるアーティストで。グラム期は、ギンギラギンで派手にブギーしていてカッコ良かったマーク・ボランに対し、フォーク寄りだったボウイにはヌメッとした印象があって、あまり好きになれなかった。ジョン・レノンと作った<Fame>には気を引かれたけれど、本格的な出会いはベルリン3部作の1作目『LOW』(77年)で、そこから遡って『STATION TO STATION』や『YOUNG AMERICAN』も愛聴盤になった。でも積極的に傾聴したのは、ナイル・ロジャースがプロデュースした『LET'S DANCE』(83年)まで。大衆ポップ路線を採用してブレイクしたボウイだったが、その後の作品はどうも低調で、しばらくは 新作が出ればチェックする程度になってしまっていた。

で、このボウイ展。一般評は概ね良いけれど、自分には今ひとつ物足りず…。偶然にも『SOUND + VISION』というレア・コレクションが彼のリリースにあるけれど、この『DAVID BOWIE IS』は、そのヴィジョンの方に重心を置いている。とりわけ、ジギー・スターダストを筆頭に、トム大佐、アラジン・セイン、シン・ホワイト・デューク等など、いくつものキャラクターを変遷していったイメージ戦略、ファッション性/衣装の変化が中心のようで…。その中で、山本寛斎とのコラボレイトに代表される日本文化への心酔ぶりも見えて、何とも嬉しい気持ちにさせられが、 音楽界最大のファッション・アイコンという面が強調され、肝心の音楽面の追求が浅いなぁ…、と感じられた。

もちろんコレはエキシビションだから、音楽的論点はレコードやCD、書籍など他のメディアで、という意図なのだろう。当時のTV番組など貴重な映像が流れていたが、それも奇抜さ、インパクトの強さを強調するスタイル。バックのスパイダーズ・フロム・マースやミック・ロンソンの存在は ほぼスルーされ、音楽的分析も皆無だ。歌詞の分析や作詞法に触れるコーナーこそあったものの、それは音楽以上にボウイのヴィジョン、脳内宇宙に直結している。自筆の歌詞が意外に丁寧に書かれていたり、ブライアン・イーノ『BEFORE AND AFTER SCIENCE』が展示されてたのは、思わずニヤリだったけど…。

また展示物の並びが、ある程度ボウイのキャリアを追いつつも、実際の年代は結構飛んだり混在したりするため、自分の中で彼の歴史を整理・反芻しながら観たのも事実。ある程度ボウイのことを知る人でないと、ユニークさばかり目立って、逆に取っ散らかった印象しか残らないかもしれない。

大きなウリのひとつであるヘッドフォン使用下のマルチ・メディア空間なのに、電波状況が悪くて途中でブチブチ切れたり、展示物のキャプションが小さすぎて混雑時は人の列が動かなくなるなど、改善すべき問題点も。それでも、こうしたエキシビションが成立してしまうこと自体が、ボウイの特異性の表れ。奇抜なファッション性、ユニ・セックス的イメージも、ただのヴィジュアルではなく、もっと深いカルチャーや彼の深層心理から湧き上がっている、それが分かりやすく表現されていたし、何より “真のクリエイティヴィティとは何か” を考えさせられた。

帰り際、ビジュアル系ロック・バンドのメンバーらしき男2人組とすれ違ったけれど、ステージ衣装のカッコ良さだけでなく、そういうインナー・ヴィジョンが彼らにも伝われば、と思いつつ倉庫を後にした。