ryo kagawa
またしても訃報。フォーク・シンガーとして活躍し、吉田拓郎に次ぐ存在と注目された時期もあった加川良(本名:小斎喜弘)が、5日、都内の病院で亡くなった。享年69歳。昨年12月に急性骨髄性白血病と診断されて入院。残念ながら、復活することは叶わなかった。

加川良は、昭和45年、岐阜県中津川市で開かれた「全日本フォークジャンボリー」に出演し、命の大切さを歌った<教訓1>で注目された。翌年、アルバム『教訓』でデビュー。前述のように大きな期待を寄せられたが、メディアとは一線を画し、全国のライブハウスなどを中心に活動を続けてきた。

加川は弾き語りで高らかに歌い上げるスタイルで人気を得たが、音楽的には一介のフォーク・シンガーには収まらず、米国カントリー・ロックの隆盛にも呼応してみせた。74年にベルウッドから発売され、“日本のシンガー・ソングライターの幕開けを飾った” とも謳われるこのアルバムは、まさにその典型だろう。後にハックルバックとなる鈴木茂、佐藤博、田中章弘、林敏明のほか、高田渡、中川イサトなども参加し、楽曲によっては はっぴいえんど以降の和モノの音楽的変遷をダイレクトに感じさせる。

訊けばこのアルバムのレコーディング当時、鈴木茂は『BAND WAGON』を録って帰国し、ツアー・バンドを組もうと画策していたらしい。そこで佐藤博らに目をつけ、彼らのプレイをチェックしようと、加川良のスタジオに潜り込んだと言う。茂さんは「加川さんには悪いことしちゃったな、と思っている」というようなことを語っていた。

後々のシティ・ポップス本流に比べれば、まだまだ洗練度の低いフォーキーな作である。でもわずかに踏み出した一歩の重みは、ジワジワと周りに波及していったのは間違いない。ちなみに<子守唄をうたえない親父達のために>で泣いている赤ん坊の声の主は、今をトキめく高田漣その人だそうだ。

加川さんのご冥福をお祈りします…