carole king writer
ゴールデン・ウィーク後半戦? いえいえ、カナザワは全開で原稿執筆中です。いま取り掛かっているのは、キャロル・キングのカタログ・レビュー。この夏 帝国劇場で、キャロルの半生を彼女の名曲と共に描くミュージカル『ビューティフル』が上演されるが(キャロル役は水樹奈々/平原綾香のダブル・キャスト)、それに併せてムック本が発刊されるそうで、そこに書いて欲しいと飛び込みの依頼が来た。

担当するのは、ザ・シティを含む70年代の作品群。いわば彼女のソロ・キャリアの一番美味しいところだけれど、歴史的名盤『TAPESTRY(つづれおり)』を短いレビューで語り切るのは難しく、なかなかに頭を使う。ちょうど2枚組拡大版『TAPESTRY Legacy Edition』もあるので、書くべきことを分散して規定文字数で収めた。一方でその後続作だと、『TAPESTRY』の延長にあって個々の特徴に乏しいアルバムがあり、それぞれ何処にフォーカスするのか、その選択が難しかったりする。時代で区切っての依頼なので、当然ながら好きで聴き込んでいるアルバムもあれば、ちょっと疎遠なアルバムも入っているでね。

そんな中、今回いろいろキャロル作品を聴き直し、自分の中で再評価というか、少し見方が変わったのが、シティ解散後に作ったソロ・デビュー作『WRITER』(71年)だ。ロック、ポップス、ジャズ、ソウルのみならず、カントリーやフォーク、ラテンからの影響も覗かせたバラエティに富んだ一枚なのだが、それが災いし、まとまりを欠くという論評が定着していた。でもソロ1作目というのは、いろいろ可能性を探るという意味で、それまでに培った幅広い音楽性をひと通り試してみるのがセオリー。そこから時代の動きを睨みつつ、方向性を絞り込んでいったのが名盤『TAPESTRY』に結実した。だからコレ自体が成功している、とは言い難くても、『TAPESTRY』で歴史を動かすには不可欠のステップだったと言える。“まとまりを欠く” というのは、やはり後ろに控えた『TAPESTRY』の影を見てしまうからだろう。

社会的メッセージを孕んだ詞は、ほとんどが元夫ジェリー・ゴフィンのよるもの。この時2人は既に離婚し、キャロルはシティのベース奏者チャールズ・ラーキーと新しい生活を始めていた。それでもゴフィンが元妻にせっせと詞を書いていたのは何故? 実は『TAPESTRY』成功の鍵は、キャロルが自ら作詞に手を染め、フェミニンな心情を素直に吐露し始めたことが大きい。それが敗北感漂う当時の米国の時代の空気にマッチし、広く共感を呼んだ。その詞を見たゴフィンは、自分が私生活だけでなく、曲作りのパートナーとしても不要になったと嘆き、しばらくペンを取れなかったそうだ。やはりそこにはビジネス以上の、幸せだった頃の愛の欠片が残っていたに違いない。

何処までも無垢な『TAPESTRY』のあと、キャロルは少しづつソウル〜ジャズ方向に歩を進め、ニュー・ソウル勢とも接近。やがて『FANTASY』(73年)という好盤をモノにする。でもその最初のステップは、『 TAPESTRY』以前のシティや、この『WRITER』にあった。個人的には<What Have You Got To Lose(私の胸に飛び込んで)>でのハイブリッドなサウンド・メイクに悶絶。これはネッド・ドヒニーも裸足で(裸で?)逃げ出しそうだよ。