akiko kosaka_again
10月25日にユニバーサルから発売された拙監修【Light Mellow 和モノ】オリジナル・アルバム・リイシュー・シリーズ、ご紹介第4弾は、小坂明子の83年作『AGAIN』。今回の復刻アイテムである7組11作品の中にあって、ひと際カナザワの思い入れが強い1枚で、自分自身イイ音で聴くのを楽しみにしていた作品でもある。しかも再発に当たって、知り合いを介してご本人にお会いでき、制作の裏側など いろいろ取材ができた。何より、小坂さんご自身にお喜び戴けたのがとても嬉しく…。

とにかく小坂明子といえば、73年に第6回ヤマハ・ポピュラーソング・コンテストでグランプリを獲得した<あなた>の大ヒットで超有名。第4回世界歌謡祭でもグランプリを受賞し、女子高生シンガー・ソングライターとしては異例の 200万枚超を売り上げた。その後立て続けに4枚のアルバムを出したが上手くいかず、レコード会社を2度移籍。前作から6年半ぶりにリリースした通算5作目が、この『AGAIN』であった。デビューからほぼ10年、彼女はモンスター・ヒット<あなた>と戦い続けていた。

「初めて自分のやりたいことができたアルバム。今の私の原点みたいな作品なのです」

関西在住の指揮/編曲家を父に持つ彼女は、当時、音大付属校に通う作曲家志向の女子高生だった。ポプコンへの応募も作詞・作曲部門で、自分で歌う気はなく…。それが大人の事情でシンガー・ソングライターとして出場することになり、あれよあれよと言う間にスター街道へ。でも彼女自身はただただ戸惑い、困り果てていた。6年半のブランク中にも「もう辞めたい」と漏らしていたという。しかし、ミュージシャンとして当たり前のことが何ひとつできていないコトに気づくと、ポジティヴな気持ちが芽生えてきたそうだ。

「自分のバンドで、いつも同じメンバーでライヴをやって、レコード制作して…。巷ではAORやシティ・ポップスが人気でしたから、私も是非それで行きたいと考えました」

それまで熱心に聴いていた洋楽は、ロバータ・フラックやビリー・ジョエル程度。でもこの頃になって積極的にいろいろな音楽を聴き始め、レイ・ケネディやビル・チャンプリンを通じてデヴィッド・フォスターにハマった。バンドも大阪在住の若手プレイヤーを集め、何人かはセッション・ミュージシャンとして活躍。かの人気セッション・ギタリスト:古川望も、彼女のバンドにいたことがあった。この『AGAIN』も、オーセンティックな<あなた>のイメージで聴くと、その洗練されたアーバンな魅力に「えッ、マジですか」となるのは間違いない。拙監修・選曲のコンピ『Light Mellow SUNSHINE』にチョイスした<ほほえんで愛>やドライヴ・チューン<OCEAN FLOOR>がマイ・フェイヴァリットながら、シングル<BYE-BYE JEALOUSY>も和モノ・イベントで回すし、スターター<LONELY GIRL>も究極のソフィスティケーション。

当人は「他の方に歌ってほしい。自分は曲が書ければイイんです。曲作りの時にイメージするシンガーは小坂明子じゃないので…」と謙遜し、「自分が書いた楽曲とヴォーカルがシンクロしてない」とも語るが、それはあくまで日本のポップス界に於ける最高レヴェルでの物言いでは… ボーナス・トラック2曲は、本作から数ヶ月前に発売された移籍第1弾シングルで、共にアルバム未収。リード曲<コバルト色の天使>は後藤次利アレンジで、TVドラマの主題歌になった。

だが残念なことに、注目されたのは同時期に書いたダイエット体験エッセイだけ。用意したバンドもツアーに出ることなく、東京や大阪など都市圏で単発ライヴを行なうだけに終わってしまった。そしてレコード会社からの依頼で少女隊やアンリ菅野らに楽曲提供したのを機に、作曲家への転身を決意し、東京へお引っ越し。それが当たってCMや童謡の評判が良く、多い時には年間200曲以上を書いたそうだからから驚かされる。しかも松田聖子や中森明菜といった人気アイドルを筆頭に、アニメ、ミュージカル、ゲーム音楽など、実績も幅広く。特にミュージカル『美少女戦士セーラームーン』の作曲は彼女の代表ワークスになり、近年はヴォイス・トレーナー/コーチとして後進の指導に当たる。雑談でもSuchmosに言及するなど、今の音楽シーンにも敏感だ。

最近は、主宰されている音楽スクールを通じてアマチュア音楽家を育成する “のんのんじゃんるプロジェクト”を推進している。このプロジェクトには、鈴木雄大やサントリー坂本(元アルファベッツ)も絡んでいるそうで、あらあら、何だかご縁が繋がったようで…。