hall of fame 2

facebookには午前中に速報でポストしたが、今年も正月早々から訃報が入ってきた。マッスル・ショールズ・サウンドの生みの親であるプロデューサー:リック・ホールが、現在住んでいるアラバマ州マッスル・ショールズの自宅で2日に死去。ガンを患っていたそうで、最近は養護施設で暮らしていたらしいが、クリスマス前に自宅に戻り、その後体調を崩したという。享年85歳。

人口わずか8000人というアラバマ州テネシー川のほとりにある小さな町、マッスル・ショールズ。そこの金属加工工場に勤める青年リック・ホールが、仲間と2人でドラッグ・ストアの2階に小さな音楽スタジオを作った。それが1959年、フェイム・スタジオの始まりである。彼は地元の白人ミュージシャンを集めてリズム・セクションを組み、アーサー・アレキサンダーやジミー・ヒューズといった黒人シンガー達の歌を録音した。それが世界的ヒットになり、リック・ホールとフェイム・スタジオは俄かに注目を集めるようになった。60年代半ばになると、パーシー・スレッジの名曲<男が女を愛する時>やチェス所属のエタ・ジェイムスらのヒットが生まれ、更にアトランティック・レコードのジェリー・ウェクスラーと組んで、ウィルソン・ピケットやアレサ・フランクリンなど、ヒットを連発した。

その後スワンパーズと称されるようになった子飼いのミュージシャンたちが、ウェクスラーと直に手を組み、マッスル・ショールズ・リズム・セクションとして独立。彼らが新たに建てたマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオが、徐々にホールのお株を奪っていく。その辺りを描いたドキュメンタリー映画『黄金のメロディ〜マッスル・ショールズ(原題:MUSCLE SHOALS)』ではホールの功績にスポットが当てられたが、そうした独立劇の裏には、ホールによるミュージシャンのギャラ搾取があったらしい。しかも、フェイムが一番華やかだったのは60年代。なのでカナザワ的には、彼にも彼が生んだ作品音にもあまり深い思い入れはなく、むしろ独立組であるマッスル・ショールズ・リズム・セクション(バリー・ベケット、ジミー・ジョンソン、デヴィッド・フッド、ロジャー・ホーキンス)に馴染みがある。AOR系を多く発信するウィッシュボーン一派(テリー・ウッドフォード&クレイトン・アイヴィ)は、更にその分派だし。

…とはいえ、音楽発信基地としてのマッスル・ショールズは、リック・ホール抜きには語れない。彼がフェイム・スタジオを立ち上げなければ、米R&Bやロック・シーンの一部が間違いなく違っていた。その一端が、近年の英Kent/Aceあたりのレアな発掘音源から窺い知れる。

Rest in Peace...