flying mimi band
朝から雪がチラついて、午後から本降り 世間は大変そうだけど、自分にはちょうど良かったかも。この週末ほとんど原稿執筆できなかったので、先送りしていた某音専誌のシティ・ポップス特集のレビューをやっつけるべく、ただただ家に引き籠って音とPCに向かっていたから…。外はシンシンと雪が積もっていても、仕事部屋はヌクヌクを通り過ぎ、ちょっぴりトロピカル・ムードだったりして…

そんな流れで取り出したるは、ミミこと小林泉美が率いるフライング・ミミ・バンドが78年にリリースした1st『ORANGE SKY, ENDLESS SUMMER』。ミミというと、パラシュートのオリジナル・メンバーだったり、高中正義グループの紅一点だったり…、のイメージが強いが、キーボード奏者/アレンジャーとしてのスタジオ・ワークは多岐に渡り、アニメのサントラ、特に『うる星やつら』でその筋のマニアから絶大な支持を得ている。それはおそらく、我々のようなピュアな音楽ファン、クロスオーヴァー好きの想像を絶するほど。90年代に入って海外に活動拠点を移したため、ほとんど名前を見なくなったが、本作を含むミミ・バンドの2作とキティでのソロ3作は、12〜13年に拙監修で初CD化させた。

このフライング・ミミ・バンドは、ヤマハ主催のEast West第1回大会(76年)で、カシオペアを破ってグランプリを獲得したASOCA(アソカ)というバンドが前身。そのメンバーは、ミミの他、清水靖晃(sax)、土方隆行(g)、渡辺もりお(b)、渡嘉敷祐一(ds)という、のちのマライア勢が中心。このうちミミと渡嘉敷、渡辺が、それぞれベスト・プレイヤー賞を受けている(ギター部門は野呂一生/サックスには個人賞ナシ)。この時の審査員には、ティン・パン・アレーの面々、高中に後藤次利、上田正樹、深町純、村上秀一、斉藤ノブなど、錚々たる顔ぶれが並び、これでASOCAは一気に注目を集めた。

かくして彼らは翌77年にCBSソニーから、シングル<マイ・ビーチ・サンバ>でデビュー。その時の名前が Mimie-Chan Super Band である。渡辺貞夫の転向作『マイ・ディア・ライフ』、天才と謳われた渡辺香津美『オリーヴ・ステップ』が同年発表だから、まだまだフュージョン/クロスオーヴァー黎明期。故にキュートな20歳の現役女子大生:ミミをフロントに据え、歌モノ・バンドに再構築してデビューさせたのは、戦略的に間違っちゃいなかった。

でも何かトラブルが起きたのだろう。すぐにCBSソニーから離れ、78年にフィリップスから “小林泉美&フライング・ミミ・バンド” として再デビュー。その最初のアルバムがコレである。

表向きは、ミミのコケティッシュなシュガー・ヴォイスを生かした、ニッチなトロピカル・ポップ。しかしその裏には、若き実力派揃いの凝った仕掛けが盛り沢山 例えば<フルーツ・パフェ>は、中原めいこ<君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね>の元ネタ的歌詞で笑えるが、実際はアントニオ・カルロス・ジョビン<ワン・ノート・サンバ>の日本語カヴァー。現在のジョビン楽曲は、歌詞の変更を許さないので、これは貴重だ。しかも、サンバとアーバン・ファンクが交互に出てくる斬新なアレンジに舌を巻く。他にもボサ風の<コーヒー>、ジャズ・ギタリスト杉本喜代志とのアコースティック・デュオ<海を見に行く>、向井滋春のトロンボーンが効いたラグタイム風<夕ぐれ時の恋人たち>、録り直しの<マイ・ビーチ・サンバ>と、ソフト・ラテンなメロウ・チューンのオン・パレード。キッチュとはいえ、ミミの揺らめくエレキ・ピアノとヘヴンリーな歌声が印象的で… また、インスト<オレンジ・ビーチ>で聴ける、メンバーが一丸となってのアンサンブルの迫力は、本当に凄まじい。名エンジニア:吉野金次が2曲、ストリングス・アレンジを手掛けているの興味深いところだ。

この後ミミ・バンドはドラムをマーティ・ブレイシーにスイッチし、間髪入れずに2nd『SEA FLIGHT』を発表。がコレが不発で間もなく瓦解し、ミミはソロへ転じていくのである。