hugh masekela_reconstruction

朝起きたら、案の定、世の中真っ白。ニュースじゃ積雪20cmちょっとで4年前より少ない、なんて宣っているが、家の車庫前を雪掻きすべく物置へスコップを取りに行ったら、我が家の庭じゃ膝のチョイ下まで潜ってしまった。こりゃ25cmは越えてそうぢゃん…って、単にオレの足が短いだけですか…

そんな中、朝っぱら訃報が2本。先に知ったのは、英国人ドラマーのデイヴ・ホランド。グレン・ヒューズやメル・ギャレーがいたトラピーズ、『BRITISH STEEL』(80年)以後のジューダス・プリーストでの活躍が有名ながら、どちらも自分が傾聴していた時期とはズレていて、思い入れは乏しい。

そしてもう一方の訃報は、南アフリカ出身のジャズ・トランペット奏者ヒュー・マセケラで。彼に関しても思い入れは薄いが、近年、この人のコトはもっと勉強しないとな、なんて思わされることが多かったので、とても残念に思っている。

マセケラは1939年、南アフリカ連邦のウィッツバーン生まれ。ロンドンの王立音楽アカデミー、ニューヨークのマンハッタン・スクール・オブ・ミュージックに奨学生として学び、ハリー・ベラフォンテのバックアップで米国での活動を本格化した。20代半ばで、南ア時代の憧れだった人気シンガー:ミリアム・マケバと結婚。彼女の音楽監督を務めつつ、祖国の人権運動、反アパルトヘイト(人種隔離政策)活動にも加担した。68年、<Grazing In The Grass(草原の太陽)>が全米No.1を獲得し、カーネギー・ホール公演を成功させている。その後、ハーブ・アルパートとの共演アルバムなどを発表。86年には『GRACELAND』を発表したポール・サイモンのワールド・ツアーに同行したが、南アのステージには上がれず終い。その後ポールの90年作『THE RHYTHM OF THE SAINTS』に参加した。

上掲アルバムは、70年に発表されたもので、スチュアート・レヴィンのプロデュースの下、クルセイダーズ・ファミリーとセッションに臨んだもの。マセケラとレヴィンは64年にChisa Records を立ち上げ、この頃はジャズ・クルセイダーズも籍を置いていた。そのため本作には、スティックス・フーパー以外の3人と、アーサー・アダムス(g)が参加。他にマイルス.デイヴィスでお馴染のアル・フォスター(ds)、ブラッド・スウェット&ティアーズにも参加した黒人ピアノ奏者ラリー・ウィリスが参加している。面白いのは、ウェイン・ヘンダーソンが何曲かドラムを叩いていること。ウィルトン・フェルダーがベースの名手なのは有名だが、ウェインがドラムを叩くのは知る人ぞ知る事実だろう。クレジットは曖昧だが、クルセイダーズのホーン奏者2人がそのまま楽器を持ち替えてリズム隊を組んでいたら、それはそれで面白い。

アルバム前半(アナログA面)は、ジェントルなマセケラのヴォーカル物。後半(アナログB面)は、彼のトランペットやフリューゲルをフィーチャーしたソウル・ジャズ寄りのトラックになっている。ヴォーカル曲には、シュープリームスのヒット<You Keep Me Hungin' On>やビートルズ<I Will>、インストではジョニ・ミッチェル<Both Sides Now>、クラシックスIVの<Traces>のカヴァーも。…とはいえ、アフリカの血は忘れない人だから、ただのメロウなソウル・ジャズでは終わらないところがユニークなんだな。

遺族によると、マセケラは長い間 前立腺ガンと闘病していたそうで、ヨハネスブルクの病院で安らかに旅立ったそうだ。彼の死に際しては、南アのズマ大統領のコメントを寄せている。享年78歳。

改めて、Rest in peace...