ndugu solo

前回ポストしたデニス・エドワーズ(元テンプテーションズ)に続いて、4日未明に飛び込んできたのが、名ドラマー:レオン・ンドゥグ・チャンスラーの訃報。ウソだろーッ 今年最初、先月5日にカナザワが足を運んだデヴィッド・T・ウォーカーのライヴで来日したばかりだゼ デヴィッド・Tのバンドはほぼ毎年のように来日していて、その都度足を運んでいたので、ンドゥグが徐々に痩せていたのは知っていた。特に今年の激ヤセぶりには驚いたが、ドラム・プレイに然したる影響は感じなかったし、近い筋から「健康的に痩せたらしい」と聞かされてた。でもそれはどうやら表向きの話で、死因はガンとのこと。きっと演奏を続けながら、秘密裏に治療していたのだろう。

ndugu



昨年、ソニーが組んだ廉価再発シリーズ『CROSSOVER & FUSION SELECTION 1000』で、ンドゥグのリーダー・グループ:チョコレート・ジャム・カンパニー1st(79年)の解説を書いたばかり。…ってか、チョコレート・ジャム Co.作品の初CD化は、01年の洋楽秘宝館シリーズで2nd『DO I MAKE YOU FELL BETTER?』(80年)がリイシューされたのが世界初。あの時の担当氏にお渡ししたリクエスト・シートにチョコレート・ジャム2作を入れたのを、ハッキリと覚えている。それだけに思い入れは深い(解説自体は他の方が書かれてます)。

レオンは1952年、ルイジアナ州シェリブポート生まれ。60年にL.A.に移り、ドラムを始めてからはハイスクールで作曲や音楽理論を習得した。“ンドゥグ”はEarth Brotherを意味するスワヒリ語。16歳で初レコーディングを経験し、ウィリー・ボボやフレディ・ハバードのグループを経て、ハービー・ハンコック『MWANDISHI』(71年)やハンプトン・ホーズ(pf)のプレスティッジ盤に参加。同年秋にはマイルス・デイヴィス・グループのツアーに加わり、同僚エムトゥーメイのウモジャ・アンサンブル、スピリチュアル系ジャズ・レーベル:ブラック・ジャズのセッションにも参戦した。74年にはサンタナに加入。<哀愁のヨーロッパ>を生んだ人気作『AMIGOS』(76年)では、作曲やコ・プロデュースで貢献している。また同時期にウェザー・リポートに関わり、『TALE SPINNIN’(幻想夜話)』(75年)に参加。レギュラー的に関わったジョージ・デュークとは、73年『FACES IN REFLECTION』からの付き合いで、そのまま常連になった。

成功したデュークの元を離れてチョコレート・ジャム Co.を始めたのは、クロスオーヴァー・ブーム到来を背景に、ハーヴィー・メイスンやノーマン・コナーズ、ナラダ・マイケル・ウォルデン、レニー・ホワイトらが、ドラマーの枠を超えてトータルなサウンド・クリエイター色を打ち出し、コンテンポラリーなポップ・ソウル・フィールド進出を目指したことに刺激を受けて。目標はきっと、ラムゼイ・ルイス・トリオ出身のモーリス・ホワイト(アース・ウインド&ファイアー)や、ジャズ・トランペットを吹いていたクインシー・ジョーンズだったのだろう。この時期はプロデュース業にも手を伸ばし、レジー・アンドリュースとのチームで、ビル・サマーズ&ザ・サマーズ・ヒート、ジェネラル・ケインやクリーク、プラチナム・フックらを制作。最大のヒットになったのが、ダズ・バンド<Let It Whip>だった。しかしチョコレート・ジャム Co.は成功せず、2作で頓挫。彼は再びデュークを中心としたセッション・ワーク活動に戻る。その中では、短期間ながらクルセイダーズの正式メンバーに迎えられたのが印象深い。

上掲のアルバムは、ンドゥグが88年に発表した、生涯唯一となった最初で最後のソロ名義作品(海外ではジャケ違い)。プロデュースは彼自身、アレンジはパトリース・ラッシェンを相方に、カルロス・サンタナやロニー・フォスター、アルフォンソ・ジョンソンらが参加した。ヴォーカルのレオ IIは、チョコレート・ジャム Co.のシンガーを務めたレオ・ミラーのこと。彼は元々サマーズ・ヒートのメンバーで、それをプロデュースしたンドゥグがチョコレート・ジャム Co.に引き抜いたようである。

世間的には、“マイケル・ジャクソン<Billie Jean>のドラマーが死亡” みたいな書かれ方をしていて、何だかなぁ…と思うが、あの曲のグルーヴがユニークだったのは紛れもない事実。と同時に『THRILLER』ではクインシーお抱えのジョン・ロビンソンが不在で、ンドゥグとジェフ・ポーカロ、リズム・ボックス(?)がドラムの椅子を分け合っていた。ンドゥグはパーカッション・プレイヤーとしてもやっていけるマルチ打楽器奏者なので、そのドラミングもアタック音を強調したパーカッシヴなスタイルを持つ。なので、ティンバレスをそのままドラム・キットに発展させたような賑やかさがあるが、クインシーはそれを逆手にとって、グッと抑えたタメのグルーヴを演出したのではないか。

このソロ・アルバムでのンドゥグも、ドラマーというよりは作曲家レオン・チャンスラーを前面に出しており、スタンダート<Smoke Gets In Your Eyes>とアントニオ・カルロス・ジョビン<Wave>以外は、すべてンドゥグ自身のペン。しかもほとんどの曲でヴァイヴのリード・プレイを披露している。つまり当時のンドゥグは一介のドラマーではなく、バンド解散にもめげずに、引き続きトータル・ミュージシャンを目指していたのだろう。

それにしても、やはり享年65歳は若すぎる。デヴィッド・Tで定期的に来日するようになった時、バックステージを訪ねた自分に、「Wow, Nice T-Shirt」を声を掛けてくれたンドゥグ。その時たまたまシンバル・メーカー:Paisteのシャツを着ていたのだ。そんな気さくな好漢でもあった。リオン、レオン、ウンドゥグ、エンドゥグ、チャンスラー、チャンクラーとか、いろいろ表記で物議をカマす人でもあったけど、デヴィッド・Tの MCでは “ンドゥグ・リオン・チャンスラー” が一番近かった気がする。

Rest in Peace...