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世間は今、シリア・ポールの名作拡大版『夢で逢えたらVOX』と、日本のポップス界を代表するそのタイトル曲<夢で逢えたら>のカヴァー・ヴァージョンばかりを86曲収めた前代未聞の大瀧詠一作品集『夢で逢えたら』の話題で持ちきり。一部では、発売日21日を “ナイアガラの日” なんて呼んでいたりする(元々は『A LONG VACATION』が81年3月21日発売だったことに由来する)が、シティポップ・フリークはコチラも見逃してはイケマセン それは、村田和人バンドを支えたギター/ヴォーカルの山本圭右(けいすけ)が率いたパイパー4作品の初CD化である。

村田と山本圭右はデビュー前から付き合いがあり、村田の出身バンド:アーモンド・ロッカにも一時参加した間柄。ソロ・デビューに向けた村田のデモ・テープでも圭右が弾いていて、後ろ盾となる山下達郎が「ギターはこの子にしなさい」と言ったらしい。ところが当人にはギタリストの自覚はなく、意識はあくまでシンガー・ソングライター。ギターはその手慰みだったようだ。しかも村田がアメリカン・ロック指向だったのに、圭右はブリティッシュ。好きなギタリストはウィッシュボーン・アッシュのアンディ・パウエルというから恐れ入る。それゆえ村田には「ちゃんとしたギタリストを探したほうがいいヨ」と言っていたそうだ。

さてそのパイパー。何故いままでCD化されなかったか、というと、当時の発売元ユピテル・レコードが閉鎖され、権利の行方が不明になっていたことに尽きる。実際ユピテルを離れてムーンから出した5作目にして最終作『LOVERS LOGIC』(85年)は、もう11年以上も前の06年末にCD化されているのだ。だが今回、facobook上で当時の関係者やパイパー再発を目論むライター仲間/業界人が一本に繋がり、千載一遇のチャンス到来。残念ながらマスターテープは廃棄されていたが、それも最新のアナログ・アーカイヴ音源:LVmシステム(レーザー・ヴァイナル・マスター)採用で切り抜け、カナザワ監修【Light Mellow's Choice】シリーズでのリイシューと相成った。おそらく今回の関係者のうち、誰か一人が欠けたら実現しなかったであろうプロジェクト。ジグソー・パズルが如く、必要なパーツが見事にあるべきところに収まって実現した、まさに奇跡的な復刻なのである。まずは関係者及び圭右さんに感謝!

さて、何やら前振りだけでたくさん書いてしまったので、今ポストでは、まず81年発表のデビュー・アルバム『I'M NOT IN LOVE』と、大胆に打ち込みサウンドを導入した2nd『SUMMER BREEZE』の2枚だけをご紹介。でもその前に、彼らは元々パイパーという名前ではなく、“スカンク”というクサい名のデュオとしてデビューしたのは御存知だろうか。メンバーは圭右と疋田ジョージという、浜松の高校時代の先輩・後輩。実際にデビュー・シングル<Lovely Night>は、スカンク名義の発売だった。ところがその後CM絡みの話が入ってきて、“この名前じゃダメだろ〜” と改名。レッド・ツェッペリン<天国の階段>の歌詞から引用して、“パイパー”になったという。メンバーもライヴに対応するため5人組となり、その陣容で制作したのが、1stアルバム『I'M NOT IN LOVE』だった。

この1作目で興味深いのは、寺尾聰で大ブレイクする直前の井上鑑がメイン・アレンジで参加していること。そのためバンド編成だったにも関わらず、今剛(g)林立夫(ds)、マイク・ダン(b)、斎藤ノブ(perc)といったパラシュートの面々が大々的に参加している。その辺りの顛末は、ライナーによる対談をご参照あれ。パイパー自身によるバンド・レコーディングはわずか2曲で、他にクレジットされたセッションメンは、おそらくスカンク時代に録音された<Lovely Night>と、そのカップリング曲で今回ボーナス収録された<バック・ストリート・ライヴ・ハウス>でプレイしたと思われる。当時のライヴではもっとヘヴィーなサウンドを出していたそうで、出来上がったアルバムは、ちょっと自分たちのイメージとは違っていたとか。確かに、後々までライヴで演っていたという<9月の空>なんて、イントロはほとんど今剛のリーダー作『STUDIO CAT』だし、中盤の展開はモロにパラシュート。それでもその辺りのアーバン・テイストが今となっては自然だし、時代を象徴する音にも聴こえて面白い。

待望のデビューを果たしたものの、アルバムはまったく売れず、細々とライヴ活動を継続。そこに夏向けの企画アルバムを作る話が舞い込んできた。当時のディレクター曰く「コンセプトは高中正義と山下達郎が混じったような、BGMっぽいサウンド」。そこでロック志向の強い結成メンバー:疋田やリズム隊が離脱したが、ちょうどリン・ドラムの存在がクローズアップされてきた時期でもあり、“コレの方がBGMに適している” と導入を決めた。当時は打ち込み=テクノの時代。それを使ってポップスを演るバンドは、まだ日本にはいなかった。圭右さんによると、かの清水信之さんに「ヤラレタ〜と思った」と言われたそうだから、そのアイディアはかなり斬新だったのだ。

かくいうカナザワも、パイパーと出会ったのはこの2作目。やたらとAORしたジャケットや、今となってはクソダサいキャッチコピーに誘われて聴いたが、そのチープな打ち込みに半ば唖然としたのを思い出す。それこそ「テクノじゃないんだからナマで演れヨォ」と嘆きつつ、一方で楽曲的にはかなり惹かれるモノがあって、結構もどかしく感じていたのが蘇った でも逆に言えば、圭右に音楽的なコダワリが少なく、何でも面白がって演っちゃうタチだからこそできたコト。“企画アルバム” という免罪符があったコトも大きい。いずれにせよ、学生時代は宅録で遊んでいたそうだから、その延長で完全に楽しんで作っている。ヴォーカル曲の少なさ、コーラスの使い方も、その頃ハヤっていたシャカタクに通じるところ(引用もアリ)。でもその計算のなさ、遊び心の散らばり方が、今ではかえって新鮮に響く。完全にコンセプト主導の作ながら、それが時代の感性を射抜いていたから好評を得た。盟友:村田和人と、村田バンドの仲間である小板橋博司(元スーパー・パンプキン)もコーラスで参加。軽い作りながらも、その後のパイパーの進路を決定づけた重要作である。


 グッド・ウェザー! グッド・サウンズ!

 上天気。君を連れてく。海はまっ青。三角窓から海風。

 カーラジオからはパイパー。

 夏に映えるね、スカッシュ・サウンド!



後続2作はまた明日!