ritchie family

ソニー【DISCO FEVER 40】なるディスコ・カタログの廉価再発シリーズから、引き続きカナザワがライナー執筆を担当させて戴いた一枚をピックアップ。 実はコレ、ちょっと思い入れのある盤なので、書くことができて嬉しかったー。もっともカナザワの個人的括りとしては、ディスコというよりアーリー80's のニューヨーク産モダン・ファンク。今でいう 80'sブギーの代表格ですかね。

元々リッチー・ファミリーは、フィラデルフィア・ベースの女性ヴォーカル・トリオ。仕掛け人はアレンジャー/プロデューサーのリッチー・ロームで、彼がディスコ物を手掛けるための企画プロジェクトとして誕生した。すると1940年代の人気曲<Brazil>のカヴァーがヒットし、アチコチから出演依頼が。そこで急遽グループとしての実態を整え、この女性ヴォーカル・グループが誕生。そのフォーマットで全米ディスコ・チャートを席巻する<The Best Disco In Town(ディスコは恋の合言葉)>(76年)がヒットした。この曲に触発されて結成されたのが、やはり当初は活動実態のなかったシャラマーだというから、そのインパクトは如何ばかりか。

だが、そうした企画色の強いグループだったのが災いし、70年代末にトラブル発生。リッチー・ファミリーの看板のまま、メンバー総入れ替えを敢行される。その時点でディスコ・グループから脱皮を試み、実力派ヴォーカル・トリオへと転生したのだ。その時プロデューサーに指名されたのが、チェンジやBB&Qバンド、メリサ・モーガンやアリソン・ウィリアムスを輩出したハイ・ファッションなどを手掛けたイタリア人クリエイター:ジャック・フレッド・ペトラスであった。

ただし、このときペトラスが相方に選んだのは、お馴染みのマウロ・マラヴァシではなく、フランス系と思しきジュリアーニ・サレルニ。アーバン・ファンク好きには<You'll Never Know>で知られる、ハイ・グロスの首謀者である。その理由は定かではないが、タイミング的にマラヴァシはズィンク(Zinc)に掛かりきりだったのかもしれない。

本作には参加メンバーのクレジットはないが、ヴォーカル・トラックのコ・プロデュースがルーサー・ヴァンドロスの盟友でシックにも深く関わるフォンジ・ソーントン(2枚のソロ作も必聴)、ミックスに名エンジニア:マイケル・H・ブラウアーとなれば、推して知るべし。チェンジやBBQの当該作とはかなりダブっていると思われる。もちろん角松敏生ファンなら、元ネタの宝庫として耳に入れておいて然るべき。タイトル曲<I’ll Do My Best>は80’sアーバン・ブギーの傑作のひとつ(R&B27位)だし、ドナ・サマーのブレーンとしても活躍したグレッグ・マティソンとトレヴァー・ヴェイチがヴァレリー・ホートン・ブラウンに提供したAOR調の隠れ名曲<Walk With Me>など、粒揃いの楽曲がひしめいている。

これが1000円で楽しめるとは、ホント、お得ですヨ