lamp 018

直近リリースのシティポップ物でよく聴いているのが、先月発売された Lamp のニュー・アルバム。04年作『恋人へ』を初めて聴き、十数年間も追うとはなしに追ってきたというか、ふと気づくと5枚のアルバムをゲットしていた。積極的に聴き込むことはなかったものの、どうも気になってしまう。自分にとっては、そんな風に少し謎の存在…。ちょうど自分の家があるエリアが「染谷」なので、Lampのメンバー:染谷太陽さんに親近感を抱いている、というワケでもないんだけれど…。

でも今回の『彼女の時計』は違った。1〜2曲聴いただけで ピ〜ンと来るモノがあって、グイグイッと引き込まれる磁力を感じたのだ。それが何なのか、現時点ではハマる言葉や説明が見つからない。それを解明しようと またCDを回しても、いつしかその ふわりとした優しい空気感に包まれ、小難しいコトなど どうでも良くなってしまう。だからといって、それを安易に“癒し” というのもイヤだけど…。

既に LIQUIDROOM ワンマン・ライヴを打てばチケット即完、アナログを出せば予約完売、という人気ぶりの Lamp。でもそうは言っても、一般的知名度はまだ低い。何も有名になればイイというものではないけれど、シティポップがブームになっている昨今、そうした流行りとは無縁のところで地道に良質な都会派ポップスを想像し続けてきたアーティストたちこそ、衆目の認めるところになってほしい。どうせブームに便乗して出てきた連中など、数年経てばキレイさっぱり消えてしまうのが音楽シーンの常だ。その点シティポップの「シ」の字もなかった頃から、飾らす丁寧にその手の音楽を紡いできた Lamp は違う。

何度も聴いていて、ふと気づいたのは、彼らの作る楽曲の作為性、難解なヴォイシングや複雑な構成が、今作であまり感じられないこと。スムーズに耳に入ってくるようになったのが、磁力が強まった要因のひとつかも知れない。おそらく彼ら自身は、以前と同様、ヒネリまくって音を作っているのだろう。逆にその作為性が感じられなくなるほどに、作為を重ねまくっている、というか…。

例えば70年代後半、『AJA』や『GAUCHO』の頃のスティーリー・ダンが膨大なスタジオ・ワークを重ねていたのは、超一流のミュージシャンの素晴らしいソロを録るため、ではなかった(もちろんそれもアリつつ、だけど)。むしろ、リズム隊のメンバーを取っ替え引っ返しながら、その楽曲にフィットする究極のフォーメーションを探し求め、一度陣容が決まったら、そのメンバーで複雑な譜面を極めてスムーズに演奏できるまでトコトン煮詰めていく。その過程にこそ、もっとも時間を費やしたという。それと同じ感覚を、自分は Lamp の新作に感じた。音や作風ではなく、制作プロセスの持って行き方として。

サウンドでいうなら、前作『ゆめ』に顕著だったストリングスが、シンセやリズム・ボックスに取って代わっている。それがナチュラルな音を求めた結果どうかは分からないが、ミニマムなフォーマットで自分たちのイニシアチヴを高める点では有効だったろう。少し前まで世間に蔓延っていた生音思考に変化の兆しが出て、今ならテクノロジーの有効利用を試みるチャンス、という読みも働いていたに違いない。

とはいえ Lamp の場合は、都会に潜む影や孤独感が楽曲のテーマになることが多い。だから自ずと淡くて繊細な音楽表現になる。夢見心地なのは、明るい未来を描くからではなく、ココからの現実逃避。そうした表現スタイルとミニマムに向かったプロダクツのマッチングが、この新作と自分の感性をフィットさせたのかも。

個人的には、すっかり<1998>にヤラレてます。