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新聞やニュースなどでも取り上げられているように、ソウルの女王アレサ・フランクリンが、16日午前9時50分(日本時間16日22時50分)、デトロイトの自宅で亡くなった。すい臓がんを患っており、家族が集められるなど、3日前から危篤説が飛び交っていた。享年76歳。彼女のキャリアなどは、音楽評論家の大先輩:吉岡正晴さんのブログ:SOUL SEARCHIN'に詳しいので、此処では割愛し、個人的なノートを少々。

60年代から多数のヒットを放ち、67年から数えて18個のグラミーを獲得。「ロック殿堂」がスタートして、即・殿堂入り。大統領就任式での歌唱3回など、まさに人種を超えた米国の国民的女性シンガーである。

ただし、その代表曲として真っ先に挙がってくるのは、アトランティックで発表した<Respect>や<I Never Loved a Man>、<Think>、<A Natural Woman>など、60年代の楽曲ばかり。<Bridge Over Troubled Water>や<Amazing Grace>あたりが、ようやく70年代始め、といった按配だ。米ローリング・ストーン誌が発表した《アレサのベスト・ソング・トップ50》の上位10曲が、まさにコレだった。確かに今になって彼女のキャリアを俯瞰すれば、それは正しいリストアップだと思う。しかし、その当時の日本で、アレサはどの程度受け入れられていたのか? もちろん洋楽的にはヒットしただろうけど、その当時のR&B/黒人音楽なんて、日本においては相当にマニアックなジャンルだったはずだ。70年代半ばからロック・ファンになったカナザワに、アレサの名やヒット曲は届いていても、そのスゴさはほとんど伝わっていなかった。当時を肌で知る音楽ファンは、もう既に60〜70歳代。だからラジオのパーソナリティがいくらアレサ追悼を謳って代表曲を紹介しても、何処か棒読みっぽくて真に迫ってこない。

かくいうカナザワが、アレサのアルバムを初めてオンタイムでどっぷり聴いたのは、アリスタ移籍後の80年代から。ジョージ・ベンソンとのデュエットをフィーチャーした、アリスタ2作目『LOVE ALL THE HURT AWAY(思い出の旅路)』(81年)が最初だった。70年代後半、アトランティック期終盤のアレサはディスコ全盛期もあってかキメ手を欠き、大きなヒットから遠ざかった。日本の洋楽マーケットが黒人音楽を大々的に売り出し始めたのも、80年代が目前に迫ってから。それはアレサのアリスタ期の始まりと時を重ねていた。

とりわけ聴き込んだのは、ルーサー・ヴァンドロス制作による『JUMP TO IT』(82年)と『GET IT RIGHT』(83年)の2枚。ルーサーのソロ・デビューに強い衝撃を受け、彼の仕事を追いかける中でリリースされたため、本当に聴き倒した。今でもアレサの個人的フェイヴァリットというと、『JUMP TO IT』を選ぶだろう。ルーサー自身がアレサを大リスペクトし、彼女に寄り添うようなプロデュースを行なっているから、アレサもさぞやりやすかったと思う。

対して『WHO'S ZOOMIN' WHO(フリーウェイ・オブ・ラヴ)』(85年)は、ナラダ・マイケル・ウォルデンをプロデュースに迎えたもの。おそらくホイットニー・ヒューストンの商業的成功をアレサにも、というアリスタ・トップ:クライヴ・デイヴィスの差し金だったのだろう。サンタナ、ユーリズミックス、ピーター・ウルフ(J.ガイルズ・バンド)に、Eストリート・バンドのサックス:クラレンス・クレモンズという豪華ゲストも、おそらくアレサには面白くなかったはず。彼女とナラダの相性も、バッチリ噛み合っていたとは思えない。でも双方、脂が乗っている時期に作られたためか、お互いの領域を守りつつ、相手のやり方を尊重するような手法で質の高いポップR&Bアルバムを完成させている。特にナラダはこの上なくジェントルなキャラの人だから、クライヴの意向を汲みながらも、彼が考え得る中で思い切りアレサ好みのトラックを作ったはず。対してアレサは、それを素直には受け入れなかったと思うが、そのデキの良さ、ナラダの頑張りは認めたのではないか。「あら、なかなかイイのができたじゃない。じゃあワタシは好きなように歌わせてもらうわ!」と。ルーサーとの密着度とは違って、言うなれば付かず離れず、的な距離感。だからナラダとは、ヒットの恩恵もあって、より長く続いたのかもしれない。日本でアレサ人気を固めたのは、このアリスタ期の3作だと思う。言わば、ホップ、ステップ、ジャンプにあたる三段跳びのような作品。コアなR&Bファンの評価はどうあれ、一般洋楽ファンにとってのアレサは、この3枚だと思うな。

最後にジャケを載せた80年作『ARETHA』は、08年の紙ジャケ発売時に、カナザワが解説を書かせて戴いたもの。アレサ作品では唯一の拙ライナーだ(AOR CITYで再掲)。確かその前年にアリスタ時代の作品群が一斉に紙ジャケ化されたのに、移籍直後の『ARETHA』と『LOVE ALL THE HURT AWAY』は紙ジャケ化から洩れた。要するにAOR寄りで彼女らしくない、という判断だったと思うが、それに憤慨したカナザワが《アーバン・ソウル》の括りでナイトフライトやケニ・バークと一緒に紙ジャケ再発を提案し、実現させた。この辺りは、逝去のトピックなどなくても今は再評価され得るところだから、手掛けておいて良かった!と今更ながらに思う。もう感謝しかない。

きっと今頃アレサは空の上で、いろんなシンガーとの再会を喜んでいるだろうな。
Queen of Soul...Rest in Peace.