エリック・タッグがオランダのみで77年にリリースしていた2nd アルバム『RENDEZ-VOUS』が、発売元を P-Vine【Groove-Diggers】に移して、待望の初紙ジャケット化。目に鮮やかな緑色が眩しく、見開きのゲートフォールドも忠実に再現。これでもっと光沢のある艶やかなコーティング紙を使っていたら完璧だったが、まぁ、贅沢は言うまい。それより今回は、この名盤のライナーを書けたことが、カナザワの一番の喜び。過去のリイシューに入っていたボーナス・トラック4曲も、余すところなくシッカリ収録されている。
このアルバムを録音した時、エリックは居を構えていたアムステルダムから故郷テキサス州ダラスへ戻っていた。そこでレコーディングを始め、L.A.のレーベルに契約の話を持ち掛けたが、徒労に終わった。そこでオランダ時代に世話になったプロデューサー:ハンス・ヴァーミューレンの伝手を辿り、オランダのレーベル:Bassart から出すことに。ホーンやストリングスが起用できるほど潤沢な制作費が用意されたのは、おそらくハンスの口利きと、前作『SMILIN' MEMORIES』が好評だったからだろう。
あまり語られたことはないが、このハンス・ヴァーミューレンは、オランダのサイケ・ポップ・グループ:サンディ・コースト出身で、日本でも<恋はまぼろし(True Love That's A Wonder)>や<悲しみのフレンド(Just A Friend)>といったシングルを出している人。その後は自身のプロジェクト:レインボー・トレインを率いてプロデュース&アレンジで活躍、更にビートルズをディスコ・オーケストラでカヴァーした『STARS ON』で、ジョージ・ハリスン役を演じた。その時のポール・マッカートニー役が、AORフリークに知られるザ・プレジデントのオッキー・ハイスデンス。レインボー・トレインにはエリック、オッキー両人が関わり、また本作でバック・ヴォーカルを務めるアニタ・メイヤーやダイアン・マーシャルも在籍していた。そのアニタは10枚以上のソロ作を出す人気シンガーで、初期作品にはエリックが関わっている。
リー・リトナーと知り合うキッカケとなり、デヴィッド・フォスターやジェフ&マイク・ポーカロも参加していた『SMILIN' MEMORIES』とは違って、ダラス録音の『RENDEZ-VOUS』には、特に著名なミュージシャンの参加はない。強いて言えば、ブレント・ブルジョワと組んだブルジョワ=タッグ、トッド・ラングレンやホール&オーツらのサポートで知られるベースのラリー・タッグが、エリックの兄。エレクトリック・ピアノを弾くバート・リゴンは、81年にジェフ・ローバーやダン・シーゲルが籍を置いたインナー・シティ・レーベルから『CONDOR』でソロ・デビューする人で、当時その盤は輸入レコード・ショップで結構なベスト・セラーを記録した。
このソロ作の存在が日本のAORファンに知られ始めたのは、本邦ソロ・デビュー作『DREAM WALKIN’』の解説に、「オランダで2枚のアルバムを出している」旨が紹介された82年。なので77年のリリース当時は、果たして日本に何枚入ってきていたか? でもその内容は前作よりも表現が深くなり、サウンド・メイクも緻密になった。
「トッド・ラングレンやエルトン・ジョンの世界からスティーヴィー・ワンダーやケニー・ロギンス、マイケル・マクドナルド、ボビー・コールドウェルなどへ移っていった」
とは、リリース時のエリック自身の弁。つまりは弾き語りベースの曲作りから、アレンジされた最終形を見据える作曲法へと進化したのだろう。飛び抜けたキラー・チューンはないものの、各トラックが流れるように進んでいく様は、やはりスティーヴィー作品のトータリティに通じる。ボーナス曲の出来も本編に遜色なく、どうして収録から漏れたのか不思議なほどだ。
そういえばエリックは今年になって、<Dreamwalkin'>の共作者ケリー・マクナルティとの双頭バンド:タッグ・マクナルティ・バンドのライヴ盤(86年録音)を自主制作で発表している。でもこちらは音質的に全然褒められたモノではなく、長年の特定ファン向けのドキュメントといえるだろう。
あまり語られたことはないが、このハンス・ヴァーミューレンは、オランダのサイケ・ポップ・グループ:サンディ・コースト出身で、日本でも<恋はまぼろし(True Love That's A Wonder)>や<悲しみのフレンド(Just A Friend)>といったシングルを出している人。その後は自身のプロジェクト:レインボー・トレインを率いてプロデュース&アレンジで活躍、更にビートルズをディスコ・オーケストラでカヴァーした『STARS ON』で、ジョージ・ハリスン役を演じた。その時のポール・マッカートニー役が、AORフリークに知られるザ・プレジデントのオッキー・ハイスデンス。レインボー・トレインにはエリック、オッキー両人が関わり、また本作でバック・ヴォーカルを務めるアニタ・メイヤーやダイアン・マーシャルも在籍していた。そのアニタは10枚以上のソロ作を出す人気シンガーで、初期作品にはエリックが関わっている。
リー・リトナーと知り合うキッカケとなり、デヴィッド・フォスターやジェフ&マイク・ポーカロも参加していた『SMILIN' MEMORIES』とは違って、ダラス録音の『RENDEZ-VOUS』には、特に著名なミュージシャンの参加はない。強いて言えば、ブレント・ブルジョワと組んだブルジョワ=タッグ、トッド・ラングレンやホール&オーツらのサポートで知られるベースのラリー・タッグが、エリックの兄。エレクトリック・ピアノを弾くバート・リゴンは、81年にジェフ・ローバーやダン・シーゲルが籍を置いたインナー・シティ・レーベルから『CONDOR』でソロ・デビューする人で、当時その盤は輸入レコード・ショップで結構なベスト・セラーを記録した。
このソロ作の存在が日本のAORファンに知られ始めたのは、本邦ソロ・デビュー作『DREAM WALKIN’』の解説に、「オランダで2枚のアルバムを出している」旨が紹介された82年。なので77年のリリース当時は、果たして日本に何枚入ってきていたか? でもその内容は前作よりも表現が深くなり、サウンド・メイクも緻密になった。
「トッド・ラングレンやエルトン・ジョンの世界からスティーヴィー・ワンダーやケニー・ロギンス、マイケル・マクドナルド、ボビー・コールドウェルなどへ移っていった」
とは、リリース時のエリック自身の弁。つまりは弾き語りベースの曲作りから、アレンジされた最終形を見据える作曲法へと進化したのだろう。飛び抜けたキラー・チューンはないものの、各トラックが流れるように進んでいく様は、やはりスティーヴィー作品のトータリティに通じる。ボーナス曲の出来も本編に遜色なく、どうして収録から漏れたのか不思議なほどだ。
そういえばエリックは今年になって、<Dreamwalkin'>の共作者ケリー・マクナルティとの双頭バンド:タッグ・マクナルティ・バンドのライヴ盤(86年録音)を自主制作で発表している。でもこちらは音質的に全然褒められたモノではなく、長年の特定ファン向けのドキュメントといえるだろう。