yuichiro oda
 
20日で58歳になりました。facebookを中心にたくさんのコメント、メッセージを頂戴し、ありがとうございました。昔は小田和正、石川ひとみと同じ誕生日と言ってたけど、時の人:安室チャンも一緒なのね。でもそんな日でも世間は淡々と動いていて…。今日もこんな音楽家/ミュージシャンの訃報が舞い込んできた。

松田聖子<青い珊瑚礁>や<裸足の季節>、サーカス<アメリカン・フィーリング>、杏里<Cat's Eye>、ローズマリー・バトラーが歌ったサントラ曲<汚れた英雄>などのヒットを手掛けた作曲家・音楽プロデューサーの小田裕一郎が、去る9月17日、米ニュージャージー州の自宅で逝去。心筋梗塞だった。享年68歳。

個人的には、80年代に多くのヒットを産んだ洋楽センスの作曲家というイメージと同時に、80年代中盤に『ODA』『ODA 2』『ODA 3』というソロ作を連発していた印象が強い。当時のポジションとしては、カナザワが仲良くして戴いてる林哲司さんに近いかな? ただし林さんより更に洋楽志向が強く、この84年の初ソロ作は、ジョージ・デュークがプロデュース参加したLA制作盤。99年にはニューヨークのお隣ニュージャージーに移住し、スタジオを構えている。『ODA』は昨年、シングル発売されたヴァージョン違いの3曲をボーナス追加した『ODA +3』として再発された。

録音自体は東京とLAで行なわれ、オリジナル収録10曲のうち8曲は東京、2曲がLAでベーシックを録っている。日本側のメンバーは、青山純/岡本郭男/宮崎全弘(ds)、渡辺直樹(b)、今剛/松原正樹/鳥山雄司(g)、大谷和夫/冨樫春生/難波正司(kyd)、斉藤ノブ(perc)。LAの方はジョージ・デューク(kyd)を筆頭に、ルイス・ジョンソン(b)、スティーヴ・フェローニ(ds)、ポール・ジャクソンJr.(g)、ポウリーニョ・ダ・コスタ(perc)、マーシー・レヴィ&リン・デイヴィス(cho)と、日本にもやって来た当時のジョージ・デューク・バンドの面々がほぼほぼ。更にダビングで、日本ベースの楽曲にラリー・カールトン(g)、アーニー・ワッツ(sax)、ジョー・ピズーロ(cho)らが乗っかる。そんな豪華かつ、洋楽志向濃厚な作品なのだ。

でも今ならスンナリ聴けてしまうこのアルバムも、当時のカナザワの耳には響かなかった。英語と日本語がチャンポンだから、ではなく、本格的洋楽志向だからこその中途半端感が、ハンパなかった。やるなら、もっと徹底してよ!という感覚があった。

例えば、邦楽のポップ・アーティストの海外録音盤には、独特の開放感や爽快感があって、ハジケた感覚が味わえる。尾崎亜美、Char、角松敏生、杏里、岩崎宏美、河合奈保子、野口五郎…、みんなそうだ。ところがこのアルバムは、デュークや海外録音を看板に使って訴求したせいか、洋楽系ディレッタントに期待感を与えすぎ、逆に “看板倒れ” に映ってしまった。再発ライナーの中で、小田自身が「自分自身がやりたかったことを表現できた」と語っており、関係者の評価も高かったと記憶するが、ウルサ型の音楽マニアにはあまり評判が良くなかった。洋楽の予備知識がない聖子ちゃんやニューミュージック系邦楽ファンは、音だけを素直に受け入れられたと思うが、それではセールスは厳しかった。立て続けに3枚もソロ作が出せたのも、小田のソングライターとしての実績あればこそ、だろう。

でもそうしたイメージのギャップは、時間の経過が埋めてくれる。昨年の再発の際、久々にアルバム全編を聴き直すと、ニュートラルなポップ気分で楽しめたからだ。直後に行われた帰国公演は見逃したが、時代を映し出すキャッチ―なメロディと都会的アレンジ、ルイス・ジョンソンの激烈チョッパー・ソロなどにプロの技がギッシリ詰まった都市型アーバン・ポップ・ファンク・アルバム。今はその価値がダイレクトに伝わる。

突然の訃報は悲しいこと。けれどこれを機に、80's歌謡曲のヒットメイカーというパブリック・イメージとは違った小田裕一郎を知って戴ければ、彼もきっと浮かばれるだろう。

Rest in Peace...

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