queen_bohemian rhapsody

相方にせがまれ、ひとまず公開初日のレイトショーでクイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。それほど熱心なファンではなかったけれど、『QUEEN II』からずーっとリアルタイムで接してきたバンドなので、『THE GAME』あたりまでは思い入れが強い。この映画も、ライヴ・エイドのシーンとか、なかなかに感動的で。あの日、明け方までTVに噛り付いて、ビデオを撮っていたのを思い出す。ちょうどフレディがソロ作を出した直後で、不仲説が出ていた時期だったから、あの時のメンバーの一体感は印象的だったな。でも映画を見ると、このライヴ・エイドに纏わるあたりにチョイと都合良く細工が施してあった。音楽映画としては間違いなく面白く、感動的だけれど、ドキュメンタリーとはちと違う。そこに少しばかりエクスキューズが必要な映画なのだな。(以下ネタバレあり)

つまり…

映画だと、尊大になっていたフレディが自分の愚かさとエイズの罹患に気づき、メンバーに非礼を詫びたうえで、今後は楽曲クレジットなどをすべて4人平等とすることで問題解決。晴れてライヴ・エイド出演、という流れになっていた。

でもクイーンの史実は、微妙に違う。

まずフレディの最初のソロ『MR.BAD GUY』の発売は、ライヴ・エイド(85年7月)のわずか2ヶ月ほど前。『HOT SPACE』(82年)のセールス不振は『THE WORKS』(84年)の成功で払拭されたものの、メンバー間の不協和音は逆に広がりつつあった。だがこの時期、ライヴ・バンドとしてのクイーンは絶好調。その証しがライヴ・エイドでの圧倒的パフォーマンスだった。自信を深めた彼らは、勢いを駆ってスタジオ入りし、『A KIND OF MAGIC』を制作。86年は伝説のウェンブリー・アリーナ公演、結果的にクイーン最後のステージとなるネブワース・パーク公演を含む『THE MAGIC TOUR』なるヨーロッパ・ツアーに出ている。その年末にライヴ・アルバム『LIVE MAGIC』がリリースされたのも、絶好調だったこのツアーをパッケージ化して残しておこうという意図だったと思われる。

でもその次のスタジオ作『THE MIRACLE』が発表されたのは、89年5月。ツアー終了から3年弱、制作期間を考えても2年近いブランクがある。そしてこの『THE MIRACLE』こそが、全曲バンド名義の作曲となった最初のアルバムなのだ。フレディがメンバーにエイズであることを告白したのも、このアルバムの製作中だったと言われている。だとすれば、映画でライヴ・エイド前に設定されていた和解ミーティングは、実際は『THE MIRACLE』のレコーディングに入る前の87年だったことになる。そしてクイーンは、『THE MIRACLE』発表と同時にツアーに出ないことを表明。すぐさま次のアルバム『INNUENDO』の制作に入った。フレディに残された時間がなく、一作でも多くの録音を遺したいという彼の希望を最優先したのは間違いない。

そうした時系列にちょっと手を加え、ライヴ・エイドを大感動の場に仕立てた映画『ボヘミアン・ラプソディ』。性の問題や移民の差別など若干考えさせられる描写もあるが、クイーンを知る音楽ファンなら、きっと誰でも楽しめるはずである。でもスクリーンを見ながら「あれっ!? そうだったっけ?」と訝しく思うのは、もうそれなりに歳を重ねたクイーン・ファンだけだろう。感動する気持ちにイチャモン付ける気は毛頭ないけれど、事実を知らぬ若いファンが、何にも知らずに誇張されたクイーン・ヒストリーを事実と誤認してしまうのは、どうかと思うな。