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年内最後の忘年会@渋谷の中華料理屋から、そのまま友人がやっている代々木上原のBARで終電近くまでトップリと。レコーディングにも深く関わるなど、いろいろ波乱万丈な一年だったが、締め括りが楽しかったので、まぁヨシとしよう。残り2日で大掃除の残り、ジャンルごとに仕分けたCDをラックに収納して、最後の懸念はPC入替のタイミング。年明け一番の締切が多いので、始動は早めの設定なのよ。

さて、VIVID SOUNDで展開している【Light Mellow's Choice】。先月のデイヴ・ルイス、ゴードン・マイケルズに続き、この26日にも3タイトルがリリースされた。いずれも韓国プレスによる紙ジャケット盤の帯・解説付き国内流通仕様。

今回のご紹介は、オンタイムではまったく無視されたのに、レア・グルーヴ時代になって注目され始めたフィリピン出身の6人組、プリーズ。70年代半ばに西ドイツ(当時)で活動していて、この2作目『MANILA THRILLER』で英米に紹介された。プロデューサーはフリートウッド・マック、チキン・シャック、サヴォイ・ブラウンという三大ブリティッシュ・ブルース・バンドを筆頭に多くのアーティストを世に出したマイク・ヴァーノン。70年頃から英国ソウルやファンク系に手を染め、米カンザス出身のソウル・グループ:ブラッドストーンを英国デビューさせたり、UKのセッション・マンを集結させたオリンピック・ランナーズを立ち上げた人である。

このアルバムが録られた76年の英国音楽シーンというと、表向きはグラム・ロックやディスコの旋風が吹いていたはずだが、その余波を浴びつつも、こうした実力派のファンク系グループがロンドンのパブやクラブで密かに活動していた。USで成功したアヴェレイジ・ホワイト・バンドを筆頭に、ココモやゴンザレス、エース、FBIの登場などがその一端。マイク・ヴァーノンはその周辺の顔役でもあった。

このアルバムからブレイクビーツ・ネタとして取り沙汰される<Ego Trippin’>は、エドウィン・スターの提供曲。70年の全米No.1ヒット<War(黒い戦争)>で知られるエドウィンも、この頃は既に低迷していた。その彼を英国へ呼び寄せて再生を図ったのが、他ならぬヴァーノンである。そのコンビで77年に『AFTERNOON SUNSHINE』なるアルバムを出すが、そのプロセスで書かれたのがこの曲と思われる。またAOR寄りのブリージン・ミディアム<Spend The Night>は、フィラデルフィア・ソウルの重鎮デクスター・ワンゼルとT・ライフの共作曲で、カール・カールトンがオリジナル。ルーファス・ファミリーのギャヴィン・クリストファー<Good Stuff>、モータウンで<Money>や<(悲しいうわさ)I Heard It Through The Grapevine>、<Papa Was A Rollin’ Stone>を書いたバレット・ストロング<I'm Gonna Take Care Of Business>のカヴァーもある。メンバーの書き下ろし3曲には、タワー・オブ・パワー風味の悶絶ファンクあり、スタイリスティックスっをパクッた甘茶バラードあり。

ジャケ買いは絶対しないであろうアートワークは、完全に失笑モノだが、実はコレにも相応の理由があった。本作が準備中だった75年10月に、ボクシングのWBA・WBC世界統一ヘビー級タイトル・マッチ:モハメド・アリ vs ジョー・フレージャー第3戦が首都マニラで行なわれたのである。フィリピン国内は、時のマルコス大統領が、この一戦を国民がTV観戦できるよう祭日に指定したというくらいの狂乱ぶり。この世紀の一戦の通称が “スリラー・イン・マニラ(Thrilla in Manila)” であった。

確かに作品全体としてはローカル色が拭えないものの、フィリピンの若者たちが世界を目指すその熱気、迸るような勢いが凄まじく、それがレア・グルーヴ世代のリスナーを直撃する。理屈ではなく、素直に心と身体でストレートに感じてほしい音、なのである。