edwin birdsong

世間的にはテニスの大坂なおみ選手の全豪オープン優勝、音楽シーン的にはミシェル・ルグラン死去が話題の一日ながら、カナザワ的に忘れないうちに書いておきたいのは、2〜3日前に訃報が届いたエドウィン・バードソングのこと。一般的にはほぼ無名のkyd 奏者ながら、ロイ・エアーズの右腕として重用され、ユキビティでは中核メンバーとして知る人ぞ知る存在だった。21日にL.A.の病院で逝去。享年77歳。

「“バード” はすごくお茶目で、呆気にとられる事をしょっちゅうやらかし、かなり斬新なアイディアを常に創造していたヤツなのさ。まるで天才肌のマッド・サイエンティストのように、紙一重で時には凄まじい曲を作り、その反面にかなりイカれた駄作も書いていた」

そう語っているのは、エアーズの下でエドウィンと同じ釜の飯を喰らったフィリップ・ウー氏(日本在住)。エアーズには60年代終盤から楽曲提供し、70年にはハービー・マンにも曲を書いているから、まだ10代という早いうちから才能の片鱗を窺わせていたことになる。そして71年にソロ・デビュー。当初は 亡くなったばかりのジミ・ヘンドリックスの後継を探す業界の意向から、ファンク・ロック的指向性を取ったらしい。しかしエアーズとの関係もあってだろう、70年代後半はジャズ・ファンク色を強め、79年の4作目『EDWIN BIRDSONG』は、なんとフィラデルフィアの名門レーベル:フィラデルフィア・インターナショナル(PIR)発信。もっともPIRではゴリゴリのジャズ・ファンクは受け入れられず、その1枚で追い出されてしまうも、スターターの<Cola Bottle Baby>は、後年ダフト・パックやカニエ・ウエストがネタに使うことになる。

上掲『FANTAZTIK』は、それに続いてサルソウルから出した81年のソロ通算5作目。カナザワが彼のアナログ盤を買ったのもコレが最初で、若き日のマーカス・ミラー、一部で “ジミ・ヘンの再来” と持ち上げられていたロニー・ドレイトン(g)の参加に気を引かれて、だった。いま見ると、初期マドンナのブレーンだったスティーヴン・ブライ(ds)の名があるが、おそらく当時はスルーしていたはず。

それとこの当時は、ウェルドン・アーヴィンやドン・ブラックマン、バーナード・ライトなど、ニューヨーク・エリアで変態的ファンキー・プレイをする鍵盤奏者が気になっていたので、その流れもあるか。例えばジョージ・デュークもP-ファンクに傾倒していたことが知られているけど、エドウィンのそれはもっとアシッドかつパンクな感覚で、シンセがゴニョゴニョ蠢いているイメージ。それでいてジュリアードやマンハッタン音楽院で学んだ経験があるから、スキルはシッカリしている。そのあたりのバランスが面白かったのだ。

ドープなパーカッションで始まるアーバン・ファンク<Win Tonight>からして一気に持っていかれる一枚だが、最大の人気曲<Rapper Dapper Snapper>(R&Bチャート65位)はデ・ラ・ソウル、ギャング・スター、2パック、メアリー・J・ブライジらがネタ使いしているとか。改めて聴くと、翌年ヒットしたトム・トム・クラブ<<Gennius Of Love>のヒントにもなっているような…。

その後エドウィンは自分のレーベルを立ち上げてシングルを出したり、プロデュース/エンジニア的に活動し、西海岸のヒップホップ・シーンに寄与。スティーヴィー・ワンダー『IN SQUARE CIRCLE』にも kyd奏者として参加している。最近はニュースがなく、久々の音信が訃報になってしまったが、エルダー世代のジャズ・ファンク好きにも、是非その名を記憶の片隅に留めておいてほしい人だ。

Rest in Peace...