james ingram

facebook には真っ先にポストしたが、朝一番にジェームス・イングラムの訃報が飛び込んできた。1月29日にL.A.で死去。享年66歳。脳腫瘍を患っていたという。でもマイケル・ジャクソン同様、恩師クインシー・ジョーンズよりも先に逝ってしまうとは…。クインシーの81年のアルバム『THE DUDE(愛のコリーダ)』にリード・シンガーとして抜擢され、彗星のようにデビューしたジェイムス。最近はあまり表立ったニュースがなく、08年のゴスペル・アルバム『STAND(IN THE LIGHT)』がラスト・リリース。その去り方も半ば電撃的なものだった。

さてジェイムスは、一般的には “クインシーに見出された” とか、“クインシーの秘蔵っ子” という表現を使って紹介されることが多い。確かに彼をスターに仕立てたのはクインシーその人だ。

「そのソウルフルなウイスキーのような歌声で、ジェイムス・イングラムは純粋にマジカルな存在でした。“Just Once”のデモ・テープを初めて聴いた時から、“One Hundred Ways”、パティ・オースティンとのデュエットとなった“How Do You Keep the Music Playing”、“Secret Garden”、“We Are the World”など、すべてのレコーディングにおいて、ジェイムスの歌う美しい音程はあなたの本質を知らしめ、その本領を見事に発揮しました」(クインシーのコメントから抜粋)

でもココにもあるように、ジェイムスを最初に見い出したのはクインシーではなかった。クインシーは<Just Once>のデモ・テープで、初めてジェイムスに声に出会ったのである。その橋渡し役、つまりこのデモ・テープ制作にジェイムスを起用したのは、この曲の作曲者バリー・マンだった。

「それまでは、基本的にデモは自分で歌ってたんだけど、この曲はポップス性があると同時にR&Bの特性を持っていたので、本物のR&Bシンガーを求めていたんだ」(バリー・マン/以下同)

こうして人づてに紹介されたジェイムスをデモ・シンガーに起用。

「彼が歌い出した時、シンシア(ワイル/バリーの妻で作詞家)と私は、私たちの耳に入ってきたものが信じられなかったよ! 彼は素晴らしかった。シンシアと顔を見合わせたんだけど、私はもう少しで心臓発作を起こしてしまいそうだったよ。とにかく彼はパーフェクトだった!」

バリーに拠れば、この<Just Once>は、元々ジョージ・ベンソンに歌ってもらうことを想定して書いたそうである。だがジェイムスが歌うデモができて、送り先をベンソンではなく、ベンソンをプロデュースしていたクインシーに変更した。おそらくバリーは単に楽曲を売り込むだけでなく、ジェイムス自身をクインシーに紹介したかったのだろう。それも、さりげない形で…。

現にバリーの思惑通り、クインシーはジェイムスをたいそう気に入り、このデモを丸ごと自分のリーダー作に使うことにした。ジェイムスの歌は新たに録り直されたが、そのヴォーカルはデモ・テープの歌いクチをそっくり踏襲している。この記念すべきジェイムスのデモ音源は、一昨年リリースされたバリー・マン&シンシア・ワイルの作品集『プライヴェート・トレジャーズ(Original Demos, Private Recordings and Rarities)』に初収録された。

またそこでは、同じくバリー・マン夫妻が書いて、セルジオ・メンデスが全米ヒットさせた<Never Gonna Let You Go>も、ジェイムスのデモ・ヴォーカルで聴くことができる。セルメン版を歌ったのは、元HEATのジョー・ピズーロ。でもそのヴォーカル・スタイルは、やはりジェイムスにそっくりだ。おそらくセルメンはジェイムスのキャスティングを望んだのだろうが、クインシーとの契約の絡みがあったか参加が叶わなかった。そこでジョー・ピズーロがジェイムスのデモをコピーし、彼のイメージそのままに歌ったのだと思われる。

何れにせよ、これだけの声、歌唱力を持つ逸材が66歳で逝去してしまうなんて…。マイケル・マクドナルド、デヴィッド・パックとのヴェルヴェット・ハーモニー最高峰も、もう聴くことができない…

Rest in Peace...