gap band IV

多くのR&Bシンガーに指針を与えるアンクル・チャーリーことチャーリー・ウィルソンがいたギャップ・バンドを育て上げ、ヤーブロウ&ピープルズをデビューさせた敏腕プロデューサーにして、トータル・エクスペリエンス・レコードの創設者ロニー・シモンズが、2月6日、就寝中に死去した。現時点では詳細不明。70歳代だったと思われる。

シモンズは1973年、L.A.の黒人街に “トータル・エクスペリエンス” というナイトクラブを開店。多くのソウル〜R&Bアクトを出演させ、一躍人気クラブに仕立てた。その勢いでレコーディング・スタジオと音楽制作プロダクション “トータル・エクスペリエンス” を設立。レオン・ラッセルのバック・バンドを経て、74年にシェルター・レコードからデビューしていたギャップ・バンドと契約を結び、彼らをマーキュリー・レコードへ移籍させて、自らはプロデューサーとして手腕を発揮するようになった。

81年には トータル・エクスペリエンスをレコード会社へと格上げ。子飼いのギャップ・バンドとヤーブロウ&ピープルを迎え入れ、その人気を確立させた。上掲『THE GAP BAND IV』は、そのトータル・エクスペリエンス・レコードに於けるギャップ・バンドの第1作目に当たる。

他にもモータウンにいたスウィッチ、のちにチャッキー・ブッカーを輩出するプライム・タイム、フィリーのベテラン:ビリー・ポール、それにグッディー、ペニー・フォード、パティ・ハワードといったソロ・シンガーたちが順次トータル・エクスペリエンス入りしてアルバムを制作。が、大きな成功を得た者はいなかった。トータル・エクスペリエンスは87年にメジャー配給を外れ、稼ぎ頭のギャップ・バンドも翌年キャピトルへ移籍。その後レーベルは頓挫してクローズに追い込まれている。でもギャップ`・バンドも長続きせずに活動を止めてしてしまうから、やはり彼らとシモンズは持ちつ持たれつの間柄だったのだ。

その後は第一線への復帰などなかったシモンズだが…。それでも、まだオクラホマの田舎ファンカーだったウィルソン兄弟にいち早く目をつけ、L.A.で都会派ファンク・バンドに育て上げたことこそ、シモンズの功績。実際、彼が初めてギャップ・バンドをプロデュースした79年の3作目『THE GAP BAND』には、ホーン&ストリングス・アレンジにトムトム84が迎えられ、アース・ウインド&ファイアーお抱えのフェニックス・ホーンズが参加。ドラムにはジェイムス・ギャドソンやルーファスのムーン・カルホーン、コーラスにはウォーターズやギャリー・グレンの名がある。更に次作『THE GAP BAND II』(実際は4作目)には、kydにグレッグ・フィリンゲインズが。その辺りの采配が、シモンズによるものだったに違いない。だとしたら、それだけでも彼ははR&B界に大きな足跡を残したことに。米R&Bシーンに於けるギャップ・バンド、及びチャーリー・ウィルソンの影響は、日本ではちょっと想像がつかないほど甚大なのだ。

Rest in Peace...