joao gilberto

大貫妙子、竹内まりや、EPOらの初期ブレーンで、MIDIレコード創設者、そして小野リサを発掘した音楽プロデューサー:宮田茂樹さんにお声掛けいただき、3月8日〜14日の1週間限定で限定上映される『ジョアン・ジルベルト ライヴ・イン・トーキョー/JOAO GILBERTO LIVE IN TOKYO』の試写会に足を運んだ。ジョアン・ジルベルトといえば、アントニオ・カルロス・ジョビンや作詞家ヴィニシウス・ヂ・モライスらと共にボサノヴァ創始者とされ、“ボサノヴァの神”、“ボサノヴァの法王”などと謳われる。 そのジョアンの奇跡の初来日公演を実現させたのが、他ならぬ宮田さんだ。03年の初公演時、ジョアンは既に72歳。そしてこのライヴ映像は、06年の3度目の来日の際、11月8・9日の東京国際フォーラムでのステージを収録したものになる。

ライヴの時は空調を止めさせるとか、平気で1時間遅刻する、何か気分が乗らないとロクに歌わずプイッとステージを下りてしまう等などと、メディアでは奇行ばかりが取り沙汰されるジョアン。でも実際は、究極的に自分に正直なだけで、己が嫌なことはやらない、気に入ればトコトン付き合う、という人らしい。最初の日本公演でも大幅遅刻。会場では「アーティストは今ホテルを出ました」「いま会場入りしました」などと足取りが実況中継された。しかもステージ上で居眠りしたとか、1時間近く微動だにしなかった、なんていう数々の伝説を作っている。日本には「お客様は神様です」というアーティストがへり下る風潮が強いが、彼は尊大なのではなく、芸術家としてピュアなだけなのだ。

それだけに、オーディエンスの方が緊張を強いられたりするが、ジョアンは誤解されやすい自分を温かく迎え入れてくれる日本のオーディエンスが大層お気に召したらしく、翌04年、06年にも再来日した。この映像が何より貴重なのは、長〜いキャリアの中で、これが世界初、ワン&オンリーの公式ライヴ映像であることである。

映像的に言えば、ただのイイ歳のお爺ちゃんがギターを弾きながら歌っているだけのシロモノ。セットも、フォーラムの大きなステージの真ん中にポツンと弾き語り用のマイク2本とスツール、モニター、そしてギター・スタンドが置かれているだけだ。ジョアンのMCもチョッと挨拶するくらいで、ほとんど無愛想に、ただひたすら楽曲を歌い綴っていく。でもそこに広がる音楽のコスモは、まさに無限大。目に見えぬ磁力にグイグイ引き込まれていく感じがした。少し寝不足気味のカナザワなので、「居眠りしないように気をつけなくっちゃ!」なんて漠然と思って試写室に入ったが、そんな心配はまったく無用。90分間、奇跡的アングルで映し出されるジョアンの一挙手一投足に釘付けになった。ロビーでお会いした伊藤銀次さんも仰っていたが、ギターを弾く人は、その左手のポジションが間近に見られるだけでもスゴく勉強になるだろう。そのうえボサノヴァの柔らかなリズムの裏側に、静かに躍動するグルーヴが脈打っている。

でもその反面、次第にズリ下がっていくメガネが遂に滑り落ち、「I'm sorry」とはにかむカワイイ一面も。

以前ケニー・ランキンにインタビューした時に「ジョアンから大きな影響を受けた。こうしたサウンドはいつも私の中に存在していて、ある種のパルスを発信しているんだ」と語っていた。同じくマイケル・フランクスも、スタン・ゲッツとジョアンの『ゲッツ/ジルベルト』(64年)を初めて聴き、「本当にビックリした。ビートも魅力的だけど、メロディの構造がアメリカン・スタンダードと完全に違っていた。目の前に新しい景色が広がった」と。もちろん "AORの父" 的存在であるニック・デカロ『ITALIAN GRAFITTI』にも、ボッサの要素が見え隠れする。だとしたら、AORのルーツの一端は、まっすぐジョアンに辿り着くと再確認。

試写が終わった後のロビーも、宮田さんの関係が大きいのだろう、業界の重鎮がアチコチに。目にハンカチを当てている女性も1人や2人ではなく、心の琴線を揺らす音楽がそこに確かに存在したことを証明していた。映画と映像博品の詳細は、こちらのオフィシャル・ページから。