carole king_montreux73

やっと…、ホントにやっと出た。キャロル・キングがアルバム『FANTASY』発表直後に出演した、スイスはモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ映像。このリリース・インフォが日本の音楽シーンを駆け巡ったのは、まだホンの1ヶ月ほど前の3月上旬のことである。でも実を言うと、「キャロル・キングのモントルー・ライヴの映像が出せるかもしれません」と関係者から耳打ちされたのは、なんと今から10年以上前のコトだった。

それは、その少し前にカナザワが、モントルーでキャロルのバックを務めたデヴィッド・T.ウォーカーのオード時代の作品群の初CD化を監修した関係で、ちょっと小耳に挟んだこと。曰く、モントルー出演者のパフォーマンスはすべて映像記録が撮られていて、その権利はフェス事務局が握っている。その流れで、一連の『ライヴ・アット・モントルー』作品を日本発売元しているメーカーに、「DVDを出して欲しいアーティストはいるか?」とフェス事務局から問いが来て、真っ先にこのキャロルをリクエストした、という話だった。

だが彼女ぐらいの大物になると、いろいろ調整が大変。キャロル自身は大らかな女性だと聞くが、その分マネージメントのビジネス管理がとても厳しく、とてもひと筋縄では行かない、とも聞かされた。確か最初の1〜2年は進捗を気に止めて、懇意にしていた担当者と連絡を取り合っていたが、その方もやがて退職してしまい、トンと音沙汰なしに。それが10年も経って突然のリリース。ほとんど諦めてしまって忘れていた、というのが正直なところである。

でもこの映像作品は、なかなかに感動的。73年のライヴだから、凝った演出などないし、画質も荒い。でもそうした諸々のトラブルを軽く超越する音楽のマジックが、ココにはある。

カジュアルなブラウスで、顔はほとんどスッピン。カメラが寄ると、肌のアレやシミ(吹出物?)まで見えてしまう。でもそれを隠そうとせず、屈託ない笑顔でオーディエンスに語りかけるキャロルがイイ。登場するなり、まずはピアノの弾き語りで『TAPESTRY』から5曲、『WRITER』から1曲の計6曲。ちょっと緊張した表情やピアノを弾き出す瞬間に呼吸を整える仕草、歌い終えた時の安堵の笑顔、そんな素のままのキャロルが大きく捉えられ、極めて自然体で親近感を湧かせるステージになっている。『TAPESTRY』から2年、こうしたネイキッドなシンガー・ソングライター表現が受け入れられていた時代でもあった。

続いて、デヴィッド・T(g)、チャールズ・ラーキー(b)、ハーヴィー・メイスン(ds)、クラレンス・マクドナルド(pf)、ボビー・ホール(perc)というリズム・セクションに、トム・スコットやオスカー・ブラシェアー、ジョージ・ホハノンら6管のホーン隊が加わり、リリース直後の『FANSTASY』から10曲をお披露目。アルバム以上に濃密なアンサンブルで、弾き語りの前半とは大きく違った躍動的パフォーマンスを展開していく。PAの問題か、あるいは録音状態のせいなのか、時に楽器間のバランスが崩れるものの、映像を観ている限りはほとんど気にならない。当時のトレードマークであるフル・アコのギターで今より攻撃的にプレイするデヴィ爺、無表情な顔でエグいベースを弾き出すラーキーにニコヤカなハーヴィーと、リズム・セクションも気持ち良さそう。キャロルもノリノリで、身体を揺らしながら力強いピアノを披露する。彼女のヴォーカルも時々ピッチがズレたりするが、思ったより遥かにパワフルで感情豊かな歌声だ。

キャロルが『TAPESTRY』一枚で大スターになったのは、楽曲の良さに加えて、彼女自身の飾らない魅力が時代にマッチしたのが大きい。まさにナチュラル・ウーマンである。このライヴも弾き語りで始まり、バンドを従えてニュー・ソウルに接近した新作を披露、ラストは再びピアノ一本で<You've Got A Friend>と<Natural Woman>を歌い、大喝采で幕を降ろす。その構成自体がまるで舞台演出のようになっていて、丸ごとありのままのキャロルなのだ。近年のライヴに比べれば、そりゃあ荒削りで未熟なトコロはあるだろう。でもその溌剌とした おきゃんな姿も、彼女の持ち味。それがまっすぐに伝わってくるライヴ映像のリリースに、万歳三唱を叫びたい気分である。

 《映像アリ》
キャロル・キング/ライヴ・アット・モントルー 1973』Trailer