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こういうバンドを聴いていると、ジャンル分けなんてまったくナンセンスに思えるし、ごく狭いカテゴリーに捉われることがバカバカしくなってくる。このグレンコーなる4人組は、70年代前半のロンドンで活動していた、いわゆるパブ・ロック・グループ。その立ち位置を紐解いていくと、アヴェレイジ・ホワイト・バンドと出身母体が同じこと、主要メンバーが後にイアン・デュリー&ザ・ブロックヘッズに加入すること、そしてプロデューサーが意外にもベン・シドランだったことが浮かび上がる。

結成されたのは71年末のロンドン。その結成メンバー4人のうちの2人、スチュアート・フランシス(ds)とグレアム・メイトランド(kyd,vo)が、グラスゴーやロンドンで活動していたスコッツ・オブ・セント・ジェームス〜ポップスコッチで、後にアヴェレイジを組むアラン・ゴーリー、オニー・マッキンタイア、ヘイミッシュ・スチュアートらと一緒に活動していた。そこからヘイミッシュが抜けてグラスゴーに戻り、メイトランドがミック・トラヴィス(g,vo)が入れ替わったのが、フォーエヴァー・モアになる。このフォーエヴァー・モアについては、日本初CD化時のポストをご参照あれ。

ゴーリーやマッキンタイアと袂を分かつたメイトランドは、複数のスタジオ・ユニットを経て、フォーエヴァー・モア解散後のフランシスやトラヴィスと再び合流。そこにノーマン・ワット・ロイ(b,vo)が加わってスタートしたのが、このグレンコーである。彼らはウィッシュボーン・アッシュの前座を務めたりしたが、間もなくトラヴィスが脱退。代わりにジョン・ターンブル(g, vo)を迎えたのが第2期グレンコーで、このラインアップで2枚のアルバムを送り出した。その2作目が、ベン・シドランがプロデューサーに招かれた『THE SPIRIT OF GLENCOE』(73年)である。

両者が何処で出会ったか、その経緯は不明ながら、当時のベンは英国勢とも近しい関係だったようで、彼の71年の初ソロ作『FEEL YOUR GROOVE』には、ピーター・フランプトンやローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツが参加。本作で1曲ベースを弾いているジェラルド・ジョンソンは、ベンの古巣であるスティーヴ・ミラー・バンドに在籍していた。そのスティーヴ・ミラー・バンドの初期作や、当時のベンのバンドメイトだったボズ・スキャッグスのコロンビア・デビュー作『MOMENTS』(71年)、それにイーグルスの英国録音1〜3枚目をプロデュースしたのが英国人 エンジニア/プロデューサーのグリン・ジョーンズ。ストーンズやクラプトン、デイヴ・メイスンらが米国南部に目を向けたのと同様に、ロンドンでも米国の血を混ぜる試みが為されていたのだ。パブ・ロック周辺に的を絞れば、エルヴィス・コステロのデビュー時にロンドンで活動していた米国人バンド:グローヴァーがバックを務めたのが思い出されるが、そのクローヴァーの中心人物:ジョン・マクフィー(後にドゥービー・ブラザーズ)が、ボズ『MOMENTS』や同時期のヴァン・モリソNn『TUPERO HONEY』に参加していたのは偶然ではないだろう。ちなみにこの後期クローヴァーは、そのままヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの前身でもある。

グレンコーのサウンドは、ブルー・アイド・ソウルというより、もっとゴツゴツと荒削りなホワイト・ソウルが特徴。それでもバンド自身のセルフ・プロデュースだった1枚目に比べると、ベン・シドランが制作を手掛けたこの2枚目は、より洗練された音作りになっている。でもそれはワット・ロイやタンブルの意向に沿うものではなかったらしく、グループは解散。2人は黒人ドラマーと手を組んだ新バンド:ラヴィング・アウェアネスを経て、イアン・デュリーの元へ走ることになった。生前の忌野清志郎のアルバムにも参加しており、ワット・ロイは今もウィルコ・ジョンソンのバンドで活躍している。