ginger baker_bbm
BBM『AROUND THE NEXT DREAM(白日夢)』(94年)

9月下旬から危篤状態にあると伝えられていたクリームの伝説的ドラマー:ジンジャー・ベイカーが、10月6日に亡くなった。死因は明らかではないが、ジンジャーはこの数年、健康面で様々な問題を抱え、16年には心臓疾患で手術を受けていた。享年80歳。上掲は、ジンジャーとジャック・ブルースが、クラプトンの代わりにゲイリー・ムーアと組んだ、BBMのアルバム。そのアートワークのアイディア通り、ジンジャーは羽根をつけて雲上と人となった。

ジンジャーといえば、兎にも角にもクリームなワケで、かくいうカナザワもその頃のジンジャーに一番馴染みがある。もちろんその後に続いたスーパー・グループ:ブラインド・フェイスも。一方で持ち前のアフリカ志向をを追求したアフロ・ジャズ・ロック・スタイルのエアフォースとなると、ちょいとよく分からない、というのが正直なところ。スティーヴ・ウィンウッドにリック・グレッチのブラインド・フェイス組に、デニー・レイン、グレアム・ボンド、トラフィックのクリス・ウッドという豪華メンバーに誘われた、というのが実情で…。一応バンド、という体裁をとっていたようだが、実質的にはジンジャーの初めてのソロ・プロジェクトでもあった。

だが、アフリカン・エッセンスをまぶしたジンジャーのドラムというのは、どうも今イチ好きになれず…。個性的で自己主張は天下一品でも、ロック・ドラマーの本分からは逸脱しているようにしか思えなかったのだ。実際アフリカに住んで、フェラ・クティと親交を持った時期もあり、ポール・マッカートニー&ウイングス『BAND ON THE RUN』のラゴス録音には、ジンジャーが一枚噛んでいたりする。

またAOR的には、元ガンのエイドリアン・ガーヴィッツとポール・ガーヴィッツ兄弟と組んだベイカー・ガーヴィッツ・アーミー(74〜76年)というのもあった。けれど基本的にはメロディ志向のハード・ロック・バンドで、スタイルは全くもって新しくない。結局のところ、クリーム以降のキャリアには、当時の仕事に手が届くような足跡はひとつもなく、いつしか犬猿の仲だったジャック・ブルースと再び手を組むようになった。上掲BBMもそのひとつで、その延長に05年のクリーム再結成がある。

ここ20年ほどはジャズに舞い戻り、マイペースで、独自のアフリカン・アプローチを追求したライヴ活動を行なっていた由。12年11月にはジャズ・ユニットを率いて来日。自分もCotton Clubへ観に行ったが、伝説のドラマーが目の前でプレイしている、という以上の感慨は湧かなかった。その後14年に『WHY』というソロ作を発表。これが実質的な最後のリリースになる。

キャラも演奏スタイルの特異だったジンジャー・ベイカー。クラプトンの後継者は生まれても、ジンジャーのようなミュージシャンは、もう2度と出てこないに違いない。

Rest in Peace...