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BENNY & US / AVERAGE WHITE BAND with BEN E. KING(1977)

このところ、また訃報が多い気がするが、アヴェレイジ・ホワイト・バンドの結成メンバーでサックス奏者のマルコム・"モリー”・ダンカンが、8日亡くなった。自分のバンドでツアーを行なっていたが、最近ガンであることが分かり、闘病していたという。享年74歳。上掲ジャケの上段中央、ヘイミッシュ・スチュアートの左隣の髭男が、モリーである。

アヴェレイジ(AWB)は、スコットランドのパースとグラスゴーで活動していた若手ミュージシャンたちがそれぞれに英国ロンドンへ進出し、そこで結成されたグループである。モリーがパースで参加していたのはブルー・ワークショップなるバンドで、ここにはアラン・ゴーリー(vo, b, g)とロジャー・ボール(sax,kyd)、ロビー・マッキントッシュ(ds)というAWBオリジナル・メンバーのほか、のちにココモやモリッシー・マレンで活躍するギタリスト:ジム・マレン(g,b)が在籍していた。対してグラスゴーのピカソ・クラブには、ヘイミッシュ・スチュアート(vo,g,b)やオニー・マッキンタイアー(g)、マギー・ベル(vo)、フランキー・ミラー(vo)、アレックス・リジャートウッド(vo,g)らが出入りし、米国のR&Bに憧れて新しい音楽を模索していた。

66年にアランとオニーが邂逅し、スコッツ・オブ・セント・ジェイムスなる新バンドを結成。翌年レコード・デビューし、ロンドンへ出る。このグループはやがてポップスコッチと改名し、ロンドンへ来ていたヘイミッシュ・スチュアートも一時参加した。が、彼はすぐにグラスゴーへ帰還。それを機にグループはフォーエヴァー・モアと改名し、RCAから2枚のアルバムを出した。

一方、スコッツ・オブ・セント・ジェイムスに参加しなかったモリーやロジャーは他のホーン奏者を巻き込んでセクションを組み、ロンドンのスタジオ・シーンで ダンディ・ホーンズの名で活動していた。彼らは同時に、元コロシアムのジェイムス・リザーランド(g,vo)率いるモーグル・スラッシュに名を連ね、71年にブライアン・オーガーのプロデュースでアルバムを出している。モーグル・スラッシュはキング・クリムゾンやエイジアで有名なジョン・ウェットンが在籍していたので、その筋で名前を知っている方もいるだろう。そのプロデューサーであるオーガーのオブリヴィヨン・エクスプレスには、元ブルー・ワークショップのジム・マレンとロビー・マッキントッシュがいた。スコットランドの音楽仲間たちは、みんなひと旗上げようとロンドンで地盤を築いていたのである。

そして71年、フォーエヴァー・モアを解散させたアランとオニーが、ロビー・マッキントッシュ、ダンディ・ホーンズのロジャーとモリーを誘ってグループを立ち上げ、それがAWBになった。72年5月には、英東部リンカンシャーで開催される“The Great Western Express Festival(通称リンカン・フェスティヴァル)” に出演。ここでヴォーカル強化の必要性を感じ、ヘイミッシュを呼び寄せることに。こうしてラインアップが固まったAWBは、73年1月にエリック・クラプトンに復帰を促した通称レインボー・コンサートでオープニング・アクトを務め、MCAからのデビューを勝ち取るのである。

そこからはもう説明不要だろう。彼らの代表曲<Pick Up The Pieces>の印象的なリフを吹いていた片割れが、このモリー。再結成後のAWBには参加せず、別の道を選んだヘイミッシュとスティーヴ・フェローニ側にも与しなかったモリーだが、最近はヘイミッシュ、フェローニとザ・360バンドなるセッション・バンドを組み、自主CDをリリースしていた。

Rest in Peace...