steve hiett_girls

2016〜17年にかけて、2年連続でAOR系名盤を大量リイシューしたソニー・ミュージックの廉価盤シリーズ『AOR CITY』。その中で一番の異色盤でありつつも好セールスを上げたのが、スティーヴ・ハイエットのワン&オンリー作『渚にて…(DOWN ON THE ROAD BY THE BEACH)』だった。オリジナルは83年発表で、実は日本制作。その再評価のキーワードは、「バレアリック」である。

だから正直なところ、決してAORの名盤とは言えないシロモノだ。でも当時は “謎の快楽名盤” として結構な話題となり、カナザワも 本を読んだりビールを飲みながら寛ぐ時の夏用BGMとして、実践的に使っていた。神経が弛緩しきったようなゆる〜い音作りが、仮想南国リゾート気分を煽ってくれた。スタイルは全然違っていても、聴き方がAORに通じていたワケである。そう言えば、スティーリー・ダンでギターを弾いていたエリオット・ランドールも、何曲か参加していたな

スティーヴ・ハイエットは、70年代からヴォーグやマリー・クレールなどのファッション誌で活躍していたパリ在住の英国人フォトグラファー。デビュー前は美術を学びながらロック・バンドでギターを弾き、66年にはイアン・マシューズ(フェアポート・コンヴェンション〜サザン・コンフォート)らとピラミッドなるグループでシングルを発表した経歴を持つ。ローリング・ストーンズのビル・ワイマンとも親交があったそうだ。その後フォトグラファーとなってジミ・ヘンドリックスを撮影したり、旧友イアン・マシューズ『STEALIN’ HOME』やフランク・ザッパ卒業生が組んだグループ87の同名作(共に78年)のジャケットを担当。佐藤博のシティ・ポップ名盤『AWAKENING』(82年)のカヴァーも彼の作品だ。80年に東京で個展を開催したのを機に日本と関係が深まり、写真集を作る話が持ち上がって、そのサウンドトラック的アルバムを作って同時発売、と目論んだのが『渚にて…』になった。

今でこそ バレアリック という格好のコトバがあるが、デビュー直後のYMOが異形のクロスオーヴァー/フュージョンとして扱われたように、当時は環境音楽という目線で語られた。ブライアン・イーノが提唱していた “アンビエント” という言葉さえ、日本ではまだほとんど使われていなかったと記憶する。ニューエイジ・ミュージックと呼ばれたウィンダム・ヒル・レーベルが日本配給され始めるのも、『渚にて…』の半年後。USチャートでは目立った動きが出はじめた頃に、『渚にて…』は発売されている。プロデューサーの立川直樹氏も、「ウィンダム・ヒルやジョージ・ウィンストンを知ったのはレーベルの国内発売が決まってから」だそうだ。

純粋な音楽ファンというより前衛音楽派、更に芸術家やアパレル関係にウケが良かった『渚にて…』。きっとハイエット自身、そうした筋から手応えを感じていたのだろう。リリース予定などないまま、パリでひとりギターとリズム・マシーンに向かい、黙々とレコーディングを続けた。そして86年からの約10年間に溜まった秘蔵テープ、彼が “Paris Tapes” と呼んだ音源が、この『GIRLS IN THE GRASS』の原型になった。きっと残っていたのは、単なるラフ・スケッチのような大量の曲の断片だっただろうが、そこから厳選し、レストアしたマテリアルがここに収録されている。

音的にはもちろん『渚にて…』の延長線。ドンカマ風の超シンプルなリズム・マシーンに乗って、トレモロとリヴァーブをたっぷり効かせたギターが、ゆったりしたサウンド・スケープを描いていく。サイケデリックとは違った、ナチュラル・ハイになれるトリップ・ミュージック。

ハイエットは偶然にも、カナザワが本作ライナーの執筆準備をしていた今年8月28日に、数年間に及ぶガンとの闘病の末、南仏モンペリエで死去したそうだ(享年79歳)。本作リリースは言わば、彼が自分の死期を悟って準備した遺言のようなものだろう。イージーリスニングでもニューエイジでもクラシカル・クロスオーヴァーもなく、ニューウェイヴ、ハウスやトランスでもない。そんなバレアリックなアンビエント音楽をお探しの方は、是非お試しあれ。