1983

昼過ぎから打ち合わせ2本。帰宅したらレコードコレクターズ最新号(細野晴臣特集)が届いていたので、チラチラと斜め読み。巻頭連載の『MUSIC GOES ON』で、6人組のシティ・ポップ系グループ 1983(イチキューハチサン)のkyd奏者:谷口雄さんのインタビューが載っていて、ふと当ブログで 1983 を紹介し損ねていたことに気づいた。メンバーとの面識はないけれど、ある筋のご縁で、南佳孝さんにこのバンドを紹介。3ヶ月ほどの前のこの対談記事 に繋げたことがある。もちろん自分が「面白い!」と思えなければ、紹介なんかできないワケで、ずーっと気になる存在ではあったのだ、1983は。先週の3連休に開催されたモントルー・ジャズ・フェスティヴァル・ジャパンにも出演していたそうだが(3日中2日は台風で中止)、すっかり見逃してたわ…

1983は、83年生まれのベーシスト新間功人を中心に結成された80年代+α生まれのバンド。ベーシックな4リズムにトランペットとフルートというユニークな編成で、和製ポップスの可能性を追求している。メンバーたちはそれぞれインディ・シーンを下支えしていて、森は生きている、トクマルシューゴ、折坂悠太、寺尾紗穂などのセッションやライヴに参加。名前の通りメンバーは70〜80年代のシティ・ポップスに憧憬が強く、佳孝さんを大いにリスペクトしている。レココレに載っていた谷口さんは、若い音楽ファンを啓蒙していくような定例トーク・ショウを持っているというから、カナザワもシンパシーを感じずにはいられない。その3年ぶり3作目のアルバムが、5月に出た『渚にきこえて』だった。

その音は下のリンクで直にご確認いただきたいけれど、カナザワ世代は黙って馴染んでしまう音だ。ノスタルジックとは呼びたくないけど、ベクトルとしては80年代というより70年代の趣き。それでも出てくる音には、やはり今様のアンビエント感とか音圧があって。ただ懐メロを演っているのではなく、ちゃんと現在のフィルターを通している。アートワークがトロピカル仕様だけれど、敢えてハリボテのセットであることをバラしているのは、サディスティック・ミカ・バンドの1st や今井裕『A COOL EVENING』と同じ感覚。そういうトコロも微笑ましいな。

ただ、昨今の若手シティ・ポップ系アーティスト全般に言えるのは、どうもプアーなインディー臭や宅録感に包まれてしまっている連中が多いこと。ナマ演奏にこだわるクセに、あんまし上手くないのも多いようだ。今は佳孝さんも宅録に凝っているそうだけど、何故かベテラン勢は音作りがリッチで、どう演っても貧乏臭くならない。それは手数・音数の問題ではなく、楽器の鳴らし方、空間の使い方の問題ではないか。そして何よりメロディが強く、歌詞と融合して一緒に耳へ入ってくるから、余計な音は返って邪魔になってしまう。逆に歌詞が強くてそれをメロディに乗せる方へ行くと、意識が周囲に拡散して音数や音像のバランスが取りにくくなる。しかも往年のシティ・ポップは、それぞれアーティストの個性を尊重していたのに、今は二匹目どころかドジョウが何十匹もいて、どれも同じく聴こえてしまうから、それも貧乏臭くなる理由だな。経済的・時間的な諸事情などあるだろうけど、そこを越えてこないと、本当に今の音楽シーンで生き残るのは難しい。

70〜80年代の和製シティ・ポップが世界で持て囃されているのに、若手アーティストのそれは、せいぜいアジア圏止まり。このままではブームが去ったあとに何にも残ってない、いるのはロートルばかり、なんてコトになりかねない。そういう意味でも、1983にはぜひ勝ち残ってほしいのだ。