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まだ三ヶ日だというのに、もう訃報が届いてしまった。自分の年齢を考えたら、憧れたアーティストや大好きなミュージシャンたちが相次いで鬼籍に入ってしまうのは、もう仕方がないところ。いちいち落ち込んではいられないけど、やっぱり寂しさは募ります。みんな長生きしろよ〜

今日、悲しい知らせが入ったのは、ソングライター/マルチ・プレイヤーのマーティ・グレッブ。1月2日に亡くなったそうだ。ボニー・レイット、エリック・クラプトン、ザ・バンド、レオン・ラッセルとの共演で知られ、近いところでは、昨年来日してロートル・ロック・ファンを喚起させたザ・ウェイト・バンドの結成に名を連ねた。デビュー・アルバムに参加したあと抜けてしまったのは、健康問題があったからかもしれない。

元々は60年代のシカゴで活動を始めた大ベテランで、シカゴ(バンド)の人脈にも近かった人。メイン楽器はギターとキーボード、サックス。マーティとピーター・セテラ、カル・デヴィッドら4人でジ・エクセプションズを結成し、シカゴ界隈では実力派クラブ・バンドとして鳴らしていた。64年ごろカル・デヴィッドが脱退し、ポール・コットン(後にポコ)とイリノイ・スピード・プレスの前身ローヴィン・カインドを結成。そのカルの後任にはジェイムス・ヴィンセント(後にアステカ〜ソロ)が加入するが、67年になるとマーティがザ・バッキンガムスに引き抜かれ、ピーターはシカゴの前身ザ・ビッグ・シングに合流していった。

バッキンガムズ解散後にマーティが参加したのが、このファビュラス・ラインストーンズである。メンバーはマーティ以下、やはりイリノイ・スピード・プレスを解散させたカルと、エレクトリック・フラッグや、アル・クーパー、マイク・ブルームフィールド、スティーヴン・スティルスによる『SUPER SESSION』でベースを弾き、ボブ・ディランやマイルス・デイヴィスのセッションにも参加していたハーヴィー・ブルックス(b)、それにドラムのグレッグ・トーマス、パーカッションのレイノル・ディノ・アンディーノの5人。

「71年の初めだったかな。古い友達であるグレッグ・トーマスから電話をもらったんだ。共通の知り合いであるマーティ・グレッブと、グレッグの友人ハーヴィー・ブルックスに会ってみないかって。グレッグはそれでフィルモア・ウエストに出演するつもりだった。ハーヴィーや僕らとバンドを組んでね。僕もハーヴィーの仕事に感心していたから、その話に乗ることにしたんだ」(カル・デヴィッド)

ファビュラス・ラインストーンズは、ウッドストックの主催者マイケル・ラングが興したジャスト・サンシャインから72年にデビューし、3枚のアルバムを発表(3枚目は “ファビュラス” のないラインストーンズ名義)。当時は全く注目されなかったが、90年代後半になってレア・グルーヴ方面から再評価された。拙監修Light Mellow's Choice(from VIVID SOUND)でも、全作紙ジャケCDを発売。当時未発表だったライヴ盤もリリースしている。70年代後半からレオン・ラッセルとの活動が多くなり、その後ボニー・レイットやマリア・マルダー、B.B.キングにバディ・ガイ、タジ・マハールなどブルース人脈をサポートするようになった。99年にはブルース系とアメリカン・ロック系双方の人脈から豪華ゲストを招集したリーダー作『SMOOTH SAILIN'』を、2011年には自主制作でもう1枚ソロ・アルバムを出している。

ちょうど シカゴ界隈の調べモノをしていたところ、マーティが80〜81年のドン底期のシカゴに参加し、短期間ながらシカゴが4管編成だった時期があると判明。当然 同郷旧知の間柄ゆえだが、マルチ・タレントだっただけに、マーティの抜けた席にビル・チャンプリンが座った、とも考えられる。う〜ん、人に歴史あり。そんなことを考えていたところに飛び込んできた訃報だった。

現時点で死因は不明。享年74歳。
Rest in Peace...