mariya trad 3

竹内まりやの、現時点での最新アルバム『TRAD』がサブスクリプション解禁。RCA時代の作品群は既に公開されていたが、山下達郎と公私に渡るパートナーとなったMoonでの作品は、初めてサブスクに乗ることになった。達郎/まりやサイドにしてみれば、観測気球的な意味合いもあるのだろうが、ユーミン、サザンオールスターズあたりが次々に公開に踏み切る中、彼らもサブスク不可避、と考えているのだろう。しかし音質などへのコダワリもあり、彼らなりの公開の仕方を模索しているように思える。

かくいうカナザワも、基本フィジカル派でありながらも、今年初めからサブスク使用率が格段にアップしている。逆に言えば、それだけCDを買わなくなった。イヤ、正直に言えば、何でもかんでも買ってしまえるだけの経済的余裕がなくなった。幸いなコトに、Light Mellow という自分のブランドらしきモノがあるので何とかなっているが、AOR系メジャー・リリースはほとんどなくなったし、音専誌も半減。執筆の場は確実に減っている。ライター稼業の将来は、まったくもって明るくない。

ま、それはいったん脇へ置いといて…。

人間社会というのは、何事も便利な方へ流れていくもので、安くて品揃えの良いスーパー・マーケットより、身近にあるコンビニの方が利用頻度は高くなりがち。音楽も、音が良くてデザイン的にも優れているフィジカルより、手軽に聴けるサブスクが主流になるのは当然だろう。フィジカルはモノとして蒐集癖を魅了してくれるが、サブスクの伸長と反比例するように、同じデジタルでも手間の掛かる download が廃れていくのは無理からぬことと思える。これからの音楽ツールは、利便性のサブスク、多少手が掛かっても音の良さや物的魅力を持つアナログ、その両極が伸びていくだろう。流石にCDがなくなるとは思わないが、マーケット的に縮小していくのは想像に難くない。

それを前提に語るなら、サブスクはもっと、その在り方を検討すべきだ。ただ、安くたくさん聴けるようになれば良いのではなく、アーティストにもっと利益還元されなければならないし、音楽文化的には、もっと明確にフィジカルとの差別化を図るべきではないか。

達郎さんは、まりやさんのサブスク公開に際して、このように語っている。
「こういう形のクリエイティビティは未来に向けての重要な作業だと思えます。(中略)ただ欲を言えば、生まれて以来ずっとアナログで育ってきて、この35年間CDの音質をアナログに近づけるために格闘してきた自分としては、よりガッツのあるロックンロール的グルーヴを実現していただければと思っています」と率直な思いを吐露。その上で、「現代のコンシューマーのための、例えば I Phone のような軽便なハードで聴くためのものなので、僕らのような職業的な粗探しではなく、誰もが音楽を気軽に楽しめ、素敵な音楽だと思える環境を実現するものでなくてはなりません」

新旧も有名無名も、売れた売れない、インディ/マイナーも関係なく、どんなカタログでも一様に並ぶサブスク。それはこれまでの音楽の価値観をひっくり返すようなもので、ハヤリとは無縁の普遍的価値が問われる場になる。そうした意味でまりやさんのサブスク公開を捉えるなら、世界的に愛されている<Plastic Love>収録の『VARIETY 』や編集盤ではなく、敢えて『TRAD』というのは、ちょっとした深読みが可能だろう。達郎さん流にいうなら、サブスクはスマホやPCで聴くためのマスタリング、フィジカルはハイスペックのオーディオで聴くためのマスタリング、であってイイ、ということだと思う。

カナザワ的には、これは海外のレコード会社との連携が不可欠なのだが…、サブスクにボーナス曲やデラックス・エディション、拡大版のアップは必要なのか?、と問いたい。…というのは、自分にとってのサブスクは、試聴機だと思っているからだ。マニアやコア・ファン向けのレア音源は、それこそフィジカルで充分でしょ? 通常盤やリード曲はどんどんサブスクに上げて宣伝に使い、そこから先はフィジカルで…と、利益の高い方へ誘導する、そういう形でイイのではないか? サブスクとフィジカルの共存を図るなら、そうした差別化、交通整理が一番必要だと考える。 

カナザワがCDを買わなくなった、というのも、実はそうした「ちょっと興味がある」「どんなのか聴いてみたい」というアイテムが購入対象から外れたから。少し前は youtube でやってたが、サブスクならアルバム単位で聴けるし、確実に音が良い。すぐにカタログにも飛ぶことができる。一方で繰り返し聴いたり、ジックリ聴き込みたいなら、CDなりアナログを手に入れる。それで月額1000円程度なら、充分元が取れると思うな。アーティスト還元に関しても一律何%ではなく、聴視回数次第で、少ない人/売れてない人には手厚く、という新人育成/マイナー・アーティスト救済の方法が考えられてイイんじゃないのか? 

とにかくサブスクの便利さを知ってしまうと、コレに勝るものはない。それこそ執筆でキーボード叩きながら…、という時はBGM的に使えるし、カタログが揃っていれば、古い音源も最新音源も瞬時に聴ける。実際、サブスクで音を聴きながら、大まかなクレジットはdiscogs、詳細はCD or アナログの記載をチェック、という倒錯した行為が、今や自分の日常茶飯事。手軽に聴くならサブスク、ジックリ聴くならフィジカル、というのが己の差別化になっている。レコード/CD棚も、これで無闇に拡張しないで済みそうだ。そしてBluthoothでスマホをカー・オーディオに繋げば、何万枚のCDを車中に持ち込むのと同じ。

10〜20歳代の若者たちには、金を出して音楽を買う習慣がないと言われてきた。DL全盛期 や youtube世代は、確かにそうだっただろう。でもサブスクの時代は、新旧の壁がなくなったコトで、再度、音楽の価値観が変わリつつあることを実感している。昨今の世界的シティポップ・ブームが、その象徴。逆に言えば、シッカリ作られた音楽が届きやすくなった面だってあるし、曲単位ではなく、アルバム復権にも繋がる可能性がある。音楽業界は岐路に立たされているけれど、音楽そのものの将来が暗くなったワケではないのだ。サブスク隆盛とどうやって渡り合い、うまく活用していくのか。CDを作って、さてデジタル・リリースはどうしよう?、はもう古い。これからはサブスク先行で、それをどうフィジカルにまとめていくか、そういう考え方でいかないと。実はココからが肝心だと思うのだ。