jesse barish 2

今日も29日の発売が目前に迫った【Light Mellow's Choice】@VIVID SOUNDS から、ジェシ・バリッシュの2nd『MERCURY SHOES』のリイシューを(韓国 Big Pink 再発盤の国内流通仕様)。ジェシはジェファーソン・スターシップ<Count On Me>(78年/全米8位)や、マーティ・バリン<Hearts(ハート悲しく)>(81年/全米8位)を書いたことで知られるシンガー・ソングライター。オンタイムでは大して注目されなかったが、レア・グルーヴの時代になって再評価が進んだ人だ。

フロア・ユースになったのは、78年のソロ・デビュー作『JESSE BARISH』。最初に聴いた時はメチャ中途半端な印象だったが、レア・グルーヴの耳を持つと、そのビミョーな揺れ具合が心地良く感じられるようになる。ジェシの1作目はその典型。パキンと竹を割るようなAORが好きな方は、きっと「コレの何処がイイの?」と思うだろう。

それに対してこの2ndは、もっと産業/アリーナ・ロック寄り。80年リリースで、プロデュースはマーティ・バリンとジョン・ハグ。マーティは前作でも実質的プロデューサーだったから、これで2作連続。そのマーティの右腕がハグで、元々ポップ・カントリーやスワンプ系を得意とするセッション・ギタリストとして、グレッグ・オールマンのバンドやキングフィッシュに在籍したり、ドゥワイト・トゥイリー、フルート奏者ティム・ウェイズバーグなどをサポートしていた。参加メンバーはマーティやジェシ自身のバンド・メンバーが中心らしく、そこにグレッグ・フィリンゲインズやスティーヴ・フォアマンら著名セッション・プレイヤーが加わっている。時代的に産業ロックが幅を効かせるようになった時代で、ジェファーソンを見ても看板シンガーだったマーティとグレース・スリックが脱退し、ミッキー・トーマスが入った頃。大らかなシスコ・サウンドが一気にジャーニー化した時代だった。それを脇目に見ていたから、ジェシのソロ作にもそれを反映させたのだろう。

そうしたポップ・ロック風の楽曲が、CD前半(アナログA面)を占める。それでも大風呂敷を広げた感はあまりなく、ギター・アンサンブルを基に構成したウエストコースト・スタイル。<Too Hip To Be Happy>や<Street Music>、<Rock N' Roll Thing>あたりを聴くと、この頃のリンダ・ロンシュタットやジャクソン・ブラウン、ランディ・マイズナーのソロなどを思い出す。でも後半はジェシの本音が覗くというか、1作目を引き継ぐような、メロウなブルー・アイド・ソウル風ミディアムが顔を出す。<Watermelon Dreams>と<Valley Of A Thousand Dreams>の2曲だ。それこそジェファーソン時代のマーティに歌わせたかった、なんて…。

ぶっちゃけジェシは歌の上手い人ではない。声も枯れてるし、音域も狭い。結局シンガーとしては大成せず、ソングライターとしての道を探ることに。そこで知り合ったのが、スティーヴ・キプナーとオリヴィア・ニュートン・ジョン<Physical>を共作した英国人ソングライターのテリー・シャディック。そしてこのコンビは、日本屈指のセッション・ギタリスト:松原正樹のリーダー作『SNIPER』に参加し、楽曲提供やシンガーを務めるのだ。ジェシとテリーも、そこで確かな手応えを感じたのだろう。その後も一緒に曲を書き、レニー・ウィリアムス(元タワー・オブ・パワー)の『CHANGING』(84年)、ザ・マンハッタンズ『BACK TO BASICS』に楽曲提供している。

その後しばし表立った活動が途絶えたジェシだが、90年代半ばに自主制作盤で復帰。コンスタントにアルバムを出し、再編されたジェファーソン・スターシップやジャック・ワグナーにも曲を書いた。そこでコラボしているのが、デヴィッド・フォスターにも近いジェフ・ペセットで、これまたビックリ。しかも彼のプロフィールを調べていたら、実は70年代初めにはJESSE, WOLFF & WHINGSなるバンドを組み、レオン・ラッセルのシェルター・レコードと契約。スワンプ系のアルバムを出していたことを知った。いやいや、人に歴史あり、である。