bonnie pointer

またもや朝一番で悲報が入った。ポインター・シスターズの結成メンバーで、73年のデビューから77年までメンバーだったボニー・ポインターが、8日、心停止で急逝した。ポインター姉妹の三女で、本名はパトリシア。4人時代に中心となっていたのが彼女だった。享年69歳。

カリフォルニア州オークランドで生まれたルース、アニタ、パトリシア(ボニー)、ジューンのポインター4姉妹は、父親の教会でゴスペルを歌って育った。60年代後半にボニーとジューンが “ポインターズ・ア・ペア” として地元クラブで歌い始め、姉アニタを加えて、71年にアトランティックからデビュー。コールド・ブラッドやエルヴィン・ビショップ、ボズ・スキャッグスらのバック・コーラスを務める。73年には一番上のルースが参加して4人組となり、ブルー・サムに移籍。初アルバムを発表すると、そこから<Yes We Can Can>の全米ヒット(11位)し、一躍注目を浴びた。当時は40年代風のノスタルジックなジャズ・ポップ・スタイルで個性を撒き散らし、グラミー賞も受けている。

しかしその人気は長続きせず、ジリジリとセールス低迷。ボニーは恋仲だったモータウンのプロデューサー:ジミー・ボーウェンに引き抜かれ、77年にグループ脱退。翌年、モータウンでソロ・キャリアを歩み始めた。2枚のアルバムを発表して、<Heaven Must Have Sent You>(全米11位)のヒットが出たが、より大きな成功を収めたのはリチャード・ペリーと手を組んだ姉妹たちの方で、ブルース・スプリングスティーンの提供曲<Fire>が全米2位を記録。その後もヒットを連発したのはご存知の通り。彼氏にそそのかされたか、ディスコ路線でスターを夢見たボニーは、ほとんど一発屋のような成績で終わった。

しかし今回ボニーの死を伝えた姉アニタは、「ボニーとは仲が良くて、ケンカなどしたことがなかった」とコメントしているから、姉妹みんなで独立するボニーをあたたかく送り出したのだろう。80年代終盤になってヒットから遠ざかったポインターズだったが、94年にハリウッドの "ウォーク・オブ・フェーム” に名が刻まれることになり、その式典でオリジナル4人のパフォーマンスを披露している。が、06年に末妹ジューンがガンで死亡。近年はルースとその娘、孫娘の3世代でポインター・シスターズを名乗っていた。

ジャケがちょっとコワい上掲作は、ボニーが新興レーベル:Private I. から84年に発表した3枚目のソロ・アルバム。プロデュースはコレもパートナーのジェフリー・ボーウェンで、コ・プロデュースにブライアン・ホランド、グレッグ・ペリーを招いている。更に若き才能トム・キーンを重用したことで、極めてコンテンポラリーなモダン・ダンス・ポップにシフト・チェンジ。一聴して分かるように、狙いは完全にマイケル・センベロ<Maniac>の世界で、ストレートに二匹目のドジョウを獲りに行っている。しかもスターターが、ジャック・ワグナー『ALL I NEED』にも入っている<Premonition>。トムとクリフ・マグネスらの共作で、どちらもトムが参加している。でもモロにマニアックしているのはボニーの方で、CDにボーナス収録された12インチ・ヴァージョンを聴くと、思わず吹き出しそうになる程。姉妹たちがヒットを連発していたので、彼女も追い込まれていたのだろうが、それにしても、という感じだ。それでも、こういうモノ、と割り切ってしまえば案外楽しめるのも確かで、如何にも80's的なダンス・ポップなサウンド・プロダクツも、コレはコレで楽しめる。

バックにはトムの弟ジョン・キーン(ds)、マイケル・ランドウ/デヴィッド・ウィリアムス/ワーワー・ワトソン(g)らも参加。<If The Price Is Right>はエドナ・ライトのカヴァー。

Rest in Peace...