sax world_20.7

音専誌 SAX WORLD 最新号 Vol.17に寄稿。『1970~80's J-フュージョン サックス大特集』のカヴァー・ストーリー、【サックスから見たJ-フュージョンの歴史】を執筆しています。でもサックス専門誌だからこういうタイトルになっているのであって、実はカナザワの意見としては、これこそが本当の【J-フュージョンの歴史】だと思っている。この雑誌を作っているY氏から「通説とは違うものを!」と依頼され、我が意を得たり、と書いたものだ。

その通説によるJ-フュージョンの起点というのは、ポップ・ロック勢によるクロスオーヴァー的アプローチを指す。具体的に言えば、ティン・パン・アレー、鈴木茂、四人囃子、サディスティック・ミカ・バンド〜サディスティックスの系譜などだ。彼らの影響を受けたジャズ・ミュージシャンたちが、77年頃からフュージョン・シーンに参入し、渡辺貞夫『MY DEAR LIFE』、増尾好秋『SAILING WONDER』、渡辺香津美『OLIVE STEP』などを作り上げた、というのだ。それは本当か?、という疑問である。

確かに、初めて日本で本格的なクロスオーヴァー〜フュージョン・アルバムを作ったのは、彼らたちだったと言えるだろう。しかしロック勢がJ-フュージョンの起点となる試みを始めたとされる75〜76年より数年早く、日本のジャズ・ミュージシャンたちの一部は、後のJ-フュージョンに繋がるトライアルを始めていた。ここ10年くらいで掘り起こされた、謂わゆる和ジャズの世界に、その萌芽があったのだ。従来の定説を唱えたフュージョン・メディア、その筋の評論家たちが、その辺りを押さえていなかったか、あるいは商業性が高かったロック勢を起点にすることで分かりやすく改ざんしたか、そのどちらかである。中には、井上陽水が『二色の独楽』(74年)で海外のジャズ系セッション・プレイヤーとレコーディングしてきたことを取り沙汰する人もいて、思わずカブリを振ってしまう。仮に、菊地雅章や川崎燎が早くからジャズ・フュージョン的試みを行なっていたことを指摘していても、彼らがどこでプロ・キャリアを踏み出したか、そういう着想を得たのか、までは言及がない。

菊地雅章や川崎燎だけでなく、和製フュージョン黎明期に活躍した本田竹廣、コルゲンこと鈴木宏昌、益田幹夫、今田勝、佐藤充夫、松木恒秀、岡沢章らは、みんな同じ界隈で若き日を過ごしている。しかし当時の日本のジャズ・シーンでは暮らしが成り立たず、歌謡曲やTVの仕事などで食い扶持を稼ぐしかなかった。でもそれがあったら、創作の自由が保たれた。反対にそういうセッション・ワークに自らをおもねることを嫌った人は、海外へ飛び出していった。そこへ新しい表現スタイルを模索していたロック勢が流入してきたワケである。そういう流れをサックス目線で簡単に要約したのが、【サックスから見たJ-フュージョンの歴史】だ。

和製フュージョンの黎明期にキャリア組として登場するザ・プレイヤーズやネイティヴ・サンが編成されるその前。ロック勢がジェフ・ベック『BLOW BY BLOW』(75年)に感化されてクロスオーヴァーになだれ込んでくるその前。それこそが、J-フュージョンの起点、に他ならない、という試論。フュージョン好きの方に、是非ともご覧いただけたら嬉しいな。